【2006年5月号】お金、汝、バーチャルなものよ。 君は、どこに行くのか?

2006年5月号

お金、汝、バーチャルなものよ。
君は、どこに行くのか?


 千葉県市川市に住むK氏27歳は、当時大学生だった2000年10月に、郵便局のバイトで溜めたお金とおじいちゃんによる学資保険の積立分を加えた164 万円を元手に、その当時より始まったネット証券で株取引を始めた。2002年5月1億円達成。2004年末11億5 千万円。2005年末80億円。そして今年2006年3月現在の資産は実に120 億円(このメールが出る頃は推定200 億円弱? 等比級数的伸び)。例のジェイコム株の誤発注のときに、個人として最高額の20億円を稼ぎだした(個人に返上の義務はない)。彼はトレードで生計を立てる専業トレーダーで、親と同居。彼が今までに使った唯一の大きな支出は2005年の夏に親にプレゼントした市川の中古住宅2億円(えらい、孝行息子!)。自分の服はユニクロ、忙しく食べる昼食は100 円ショップで買ったカップラーメン。彼のこの「質素」は好ましく映る。ひとまずお金のワナにははまっていない。
さまざまなメディアで彼が語った言葉を見てみると、彼が頭の切れる男で人生をなめていないのが分かる。前稿で書いたライブドアの堀江氏のように、K君からは、この道がいったい自分をどこに運んでいくのか、行けるところまで行ってみたい、という強い意志を感じる。また同時に、「スッテンテンになる自分」というのを彼が逆説的に思い描いているのも少し感じる。あたかも「憧れ」かのように・・・。
この人のことを知ったときは、ちょっと興奮を覚えた。別に金額の多寡に驚いたわけじゃなくて(まあ、驚いたけど・・・)、彼が「いまもやめようとしていない」ことに。だって、通常の感覚では誰がどう考えたって「もういい」わけで。それはなにか、「これだけあったら、これが買えるから」というモチベーションとは異質のなにものかに突入しているのが推測される。当然親たちも、「もういいでしょう?」と本人に言っている。でもやめない。彼に言わせると「やめられない」のだそうだ。なぜやめられないかというと、そこ(市場) にチャンスがあるのに、いま行動しないことによって、得られるであろう利益が得られない「損失」(感)に耐えられないのだそうだ。テレビコマーシャルに出てくる学者が言っているように「人は行動しないことによる後悔にもっとも耐えられない」のである。あなたの夢は?と問うインタビューアへの答は、「(相場で)負けないことです」・・・。ライブドアショックで3億円程の損失を出した彼は、持っている株が暴落する夢を見ることもあるという。セラピュティックな観点で言えば、たぶん彼は相場というものに「依存」している。曰く、リアルな札束、たとえば一回の取引で彼が損を出した実績のある2億とか3億とかを床に置いたらどのくらいの体積か、朱印が押してある帯封を見るとか、紙の手触りを感じる、インクの匂いをかぐことを絶対したくない、と。それを見てしまうと、取引が冷静にできなくなると彼は語っている。
確かに人はバーチャルな世界のみに長く居続けると精神的に傷つく。それはそうだが、彼にはなにか、ひたむきな、というか、超然としたというか、なぜか好ましいものを感じる。もちろん、彼の世界にも偏りがあるだろう。たとえば、人とのコミュニケーションは苦手かもしれない(勝手な想像・・・)。しかし、私たちの住んでいるリアルな世界だってひとりひとり、なにかに充分偏っているのだ。彼をただのニートのおたく、という論調もあるが、私はそうは思わない。それは彼がみずからをカリカチュアライズしてメディアに投げた言葉を鵜呑みにしている。
私は思う。彼は「株式相場で自己啓発をしている」と。相場という世界で、彼は「確実に成長」している(ように思われる)。大学を中退してから彼は、会社に就職はしなかったが、代わりに相場に就職。バーチャルな金がダイナミックに動く、きわめて苛烈な株式相場という、リアルと対等な世界のなかで、自分の「生きる」という時系列の行為がどういうものであるかを、ひとつひとつ恐怖したり、カタルシスを感じたりしながら、確かめているのだと思われる。リアルで起こることはバーチャルでも起こりうる。
お金。ああ、このバーチャルなるもの。彼はIEのなかで表示される証券会社の残高や、自分で管理するエクセルのセルのなかで次々と増えていく数字のデジットを見つめている。その数字やデジットが増えていく、ということが、彼が身体から熱を発し、動的に生きている、ということの、まごうかたなき証である。インタビューに答える彼の映像を見ていたとき、なぜか映画「ブレードランナー」のイメージが沸き上がってきたのも故なしとはしない。
そしてまた、お金とは、なんとスピリチュアルなものであろうか。このふたつは、まるで懐かしい兄弟のように似ている。概念だけがあって、実態に触れることはできない。後ろにあって、現実の変化を確実に生む強い影響力をもっている。私には、K君は、一篇の未来の詩のように感じられてしまうのだ。
社会主義を淘汰したかのように見える資本主義の、そしてお金という価値の将来について考えることがある。現在のお金にとって代わるまったく別のエネルギー単位、たとえば「働く・動く・貢献する」という価値を「1アクト、2アクト」と呼ぶ時代がくるだろうか。そうなったら、またその1アクトに依存するひとが出てくるだろうか。1アクトがまた、さまざまな人生のワナを用意して、私たちの人生を啓発し、向上させてくれるのだろうかと・・・。
  喜多見 龍一


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