【2006年7月号】地脈に導かれて、わたしはいつも、渚にいた。

2006年7月号

地脈に導かれて
わたしはいつも、渚にいた。


 人間がある種の磁場をまわりに放っているように、土地自体も、その成り立ちのなかから、その造形や資質から、そしてその場に紐づいた人間の営みの記憶から、ある種の磁場を放ち続けていると考えられる。これはたとえば散歩をしているときにも、なぜかそこの近くに行くと、私たちの意識を特殊な(必ずしも嫌なではなく、気分のいいこともある)状態にもっていったりする。こうした「場に感応する能力」は時代とともに失われているが、古代には、それが強かったように思われる。
こうした地脈の話には、ついつい強く引き込まれる。80年代の本だが荒俣宏の「帝都物語」はめっぽう面白く、長編を一気に読んだ覚えがある。最近、近くの書店にふらりと入ったら、なにかわたしを呼ぶ本があって、中沢新一氏の「アースダイバー」(講談社)を買い求めた。社に帰ってちょっと読み始めたら面白くてやめられず、仕事をほったらかして2〜3時間で読み切ってしまった。この本には折り畳みの東京の地図が添付されていて、そこには、今とはまったく違う、縄文時代の海岸線の位置(いわゆる縄文海進)、脳のヒダのように複雑なトウキョウの入り江、縄文の貝塚や遺跡、弥生遺跡や古墳時代の前方後円墳などが、現在の神社や電車路線などと一緒に書き込まれている。
この地図上に、会社や自宅の変遷をマッピングしてみた。すると、なんとわたしは「いつも岬の上の“渚”だけを選んで移動していた」のだとわかって、少なからず驚いた。ヴォイスは設立当時、赤坂見附だったが、そこも青山一丁目あたりも、いまの西麻布も、ほぼ海を目前にする岬上の渚だった(いま面する外苑西通は、ほぼその幅の入り江。青山墓地は外苑西通という海路にY字路で挟まれたそのままの大きさの岬)。自宅だって、下北沢、梅ヶ丘、麻布十番あたり、そしていまの住まいもすべて渚だ。こういうことを追っていくと、自分の魂の出自を思いめぐらすことになり不思議な気持ちになる。無意識と意識の渚に、いまも立ち続ける魂とは、いったいどこから来た何者なのか・・・。
十番のあたりに住んでいたときは、生まれたチビたちを連れてよく芝公園に行った。東京以外にお住まいの方には見えない話で恐縮だが、十番から芝公園の交差点に向かって交差点手前の左側の公園部分に、こんもりとした丘がある、都心と思えないほど樹木が繁った場所だが、ここによく子どもを連れて行って遊んだ。しかしなんと、記述によれば、ここは東京に数基ある前方後円墳のひとつだった(古墳時代)。かつ、もっとさかのぼると縄文時代の岬であり、丸山貝塚もここにある。古来からここは、ずっと力のある場所であったのだろう。ここから先、東はずっと海だった。現在のすぐ奥隣は芝東照宮(祭神は徳川家康)、その先は増上寺(こちらも家康)と東京タワー。前方後円墳の向かってすぐ左は新しくできたプリンスホテル。なんか不思議に精妙な雰囲気があるなあとは思っていたが、これで合点がいった。海に突き出た岬の突端に、六千年も前から、縄文人が住み着いたり祭祀をおこなった場所が、いまも他とは違った雰囲気をもって存在しつづけること自体、地脈は生き続け、ひとに一定のインスピレーションを与えつづける証左であろう。
ひとにはそれぞれ、「この場所に行くと元気になる」「なぜかこの場所に縁がある」という場所がある。そうした場所がひとによって異なるのは、地とひとの間にも、魂レベルのコネクションがあるからなのだろう。人間は地球という星の、地表にへばりついて生きる生き物なのだ。
この本のなかで中沢氏は「東京の中心は実は富士山なんじゃないか」と語っている。確かにそうかもしれない。わたしには、富士山は厳しい「司令塔」のように見える。1987年8月のハーモニックコンヴァージェンスの日に一度だけ頂上まで登った。そしてその直後にヴォイスを始めた。クルマで近くを通るときにも、独特の雰囲気をいつも感じる。特に山頂にいただいた冠雪の「白」が語りかけてくる。意識するたびに、「おいおい」とか「これこれ」とか「なにやっとんねん」とか言われたような気がする。富士はいつも「本質」のみを突いてくるから。わたしは心のなかで答える。「はい、すいません、ぼちぼちと・・・」
  喜多見 龍一


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