【2006年11月号】精神科と日常の境目は紙一枚の厚さしかない。

2006年11月

精神科と日常の境目は
紙一枚の厚さしかない。


ベテランの精神科医が数十年の臨床例のなかから学んだ知識を、私たち一般人も日常的に知っていたらなあ、と思うことがある。そうしたら、ある命が死ななくてもよかったり、ひとを深く傷つけたり、じぶんが傷つかなくてもよかったかもしれない、と思えるから。この種の知識は、人権や個人情報などと接近したところにあるため、微妙な問題になりやすく、なかなか社会の表に出てこない。しかし、実際には、きょうも私たちの身近でたくさんの出来事が起きているのだ。それでもいつか、日常的な知識の一部になる日が来るのかもしれない。なぜなら、きょうもまた、たくさんの「今まで隠されてきた知識が、一般知識として、雑誌や新聞やテレビ番組や映画で語られるようになってきた」からである。スピリチュアリティの世界など、まさにこの典型といっていい。もはや「心理」の世界までは、大きな潮流となって一般知識化しつつあるし。
私たちは、福島学院大学、福祉心理学部教授で医学博士の星野仁彦先生と、著書の出版の関係で、つっこんだ話をする貴重な機会を何回か持たせていただいた。そうした話の中から何冊もの良書が生まれたが、近刊の「気づいて! こどもの心のSOS −−こどもの心の病全書」は、ここまで「わかりやすい」「即、その日から日常で使える」類書は、どこにもないと胸を張れる。まずは、今こどもがあぶない、との認識からこども用を先につくった。これの「おとな用」も計画している。この本は3年かけて熟成させた。へんな言い方だが、「読んでわかる精神科の本」が他にない。それに充分な種類の障害がカバーされている。
「精神障害」という言葉が、あまりに怖すぎるので、私たちは英語の「(mental)disorder」order 、秩序がdis な状態、セルフ・オーガナイズできていない状態という言葉を使っている。精神障害は、なにか日常とは異なる別次元の現象のようなニュアンスがあるが、ディスオーダーはもっと日常的だ。つまり実際は、健常者とディスオーダーの人たちは「完全な混在」状態なのだ。○○障害という名前がついたから増えたのか、現代の環境のケミカルな物質のせいで増えたのかわからないが、50年前よりは確実に精神的なディスオーダーは増えている。生活への影響度は濃淡があって、日常生活がおくれないケースと日常生活はおくれるがトラブルもあるケースとがある。まあ実際のところ、私たちはみな、どこかに「穴」があいているのであって、程度の差こそあれ、みな「わずかに、どこかが、ディスオーダー」なのだ、という真実は知っておいたほうがいい。差別すると、結局その矛先は自分にまわってくるかもしれないという、真実の女神の抜群のバランス感覚!
一般に知られていないが、ベテラン精神科医にはよく知られていることに、次のようなことがある。[1] どんな障害であろうと、最初は「最近、眠れなくなった」というところからはじまる(ことが多い)。最近あきらかに夜眠れなくなったのなら、自分の現在の環境のなかの「大きなストレス」について思いつく必要がある。5分の診断でクスリだけを出す病院より、カウンセラーにまず長々と話を聴いてもらったほうがよい。[2] ほとんどの障害は遺伝である。ただ、同じ親の子でも出たり出なかったりするので、一概には言えないが。ここで難しい問題は、" 犯人探し" のようになってしまうことだが。状況がすでにそこにあるのなら、そこからどうするかに、当然だが本質があるので、遺伝が誰から来ようが、神さまじゃないんだから関係ない。[3] どの障害も単独で存在することは少ない。これが一番知られていないかもしれない。だいたいは合併症がある。たとえばADHDとBPD(ボーダーラインパーソナリティ) とLD(学習障害) が、ひとりのなかで表現される、というように。[4] 日常生活がおくれる程度の障害でも身近に強力な、あきらめないサポーターが必要。通常は家族だろう。[5] (さらに知られていないことだが)性的な領域に関して難しい局面を併せ持つことがある。このことは、精神科医も臨床例は持っていても、あまり語りたがらない。私たちは、この「こどもの心のSOS」を制作するときに、星野先生と話し合った。そして「ありうる」のであれば、事実を削ることは不合理と、性的項目も削らないことにした。このことは、小中学校への販売を考えると、あまり得策ではないのもしれないが、可能性を知っておくことが、きっとこども達を守ることになると判断した。
よく起こるのは、こうした「障害」が一般的には症状が知られていないので、「そのひとの性格」と思われてしまうことだ。そうなるとひとと行動が同一化されてしまうので、そのひとが悪い、となってしまう。しかし、それが脳生理学的なケミカルな反応であることを知れば(まわりがそのひとの障害を認識したケース)、そのひと自身と問題行動とを切り分けて考えられ、個人を責めることが少なくなる。本質的には、社会的にカミングアウトしても安全な社会に早くなるといいと思う。星野先生ご自身もADHDであることを以前からカミングアウトされ、しかも立派に社会的に活躍されている。頭のいいひとも、いっぱいいるのだ。健常者とディスオーダーのひとの見た目の差はほとんどない。職場で、家庭で、こどもたちと、パートナー選びで、これらの情報が役に立つといい思う。この「こどもの心のSOS」は、読み物として読めるきわめて稀な医学書です。初期段階を見逃さないための「サイン」や、「サポートの仕方」まで踏み込んだ、ぜひ万人に読んでいただいて、日常生活に使ってほしい本なのだ。
  喜多見 龍一


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