【1998年7月号】「気働き」。それは「想像力と創造力」の問題だ。


1998年 7月号

「気働き」。それは「想像力と創造力」の問題だ。

世の中には、「気がきく人」と「気がきかない人」が存在する。
彼らの違いは、「想像力と創造力」にある。

ある本で(まだ読んでいない)キヨスクのおばちゃんは、商品を渡す時にもう釣り銭を用意している、というのがあって納得してしまった。
つまり、立地の当然の要求として、単位時間に最大の売上を達成し、今にも出そうな電車に乗れるようにしてあげたい(というサービス)わけだ。相手が出してくる額によって釣り銭は変わるが、長年にわたる市場調査により、相手が出してくる額まで「読んでいる」(恐ろしき能力)。
時には違う金種なこともあるが、それさえも読まれている(瞬間的に釣りを変えるから分かる)。つまりおばちゃんは、長年の訓練の成果で、指は勝手に動き、頭はα波状態と化し、左手で商品を渡しつつ、右手で釣り銭を選び取る。それは「頭の中で相手がして欲しいこと(5秒後に出る電車に乗りたい、とても乗りたい、という)を想像しうる能力」であり「それを可能ならしめるワザを開発・創造した私はいとおしい」ということなのだ。これが、気働きの基本である。

しかし、世の中、キヨスクのようにシンプルではない。昨日恋人と別れた人がいま隣でコーヒーを飲んでいるとして、彼女が今泣きたいのか笑いたいのか、それは難しい問題だ(だいたいどっちでもいいんだが)。
創造的知性の高い人はこの能力は高いが暗記型知性は役立たず。しかしだいたいが「場数」である。「感情の感応力が高い人」(悲しい人の隣にいるだけで泣いちゃったりする人ね)も別の意味でこの能力は高い。

この能力が行き着くと、まだ思っただけでなんも言葉を発しないのに、「質問」に答えられちゃったりする。火星人じゃないんだから、なにもそこまでしなくてもいいと思うが、でもちょっとうれしかったりもする。

  喜多見 龍一


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