【2008年5月号】「共同創造」というあらたなステージへ

共同創造の概念は、お互いが対等でコントロールの関係にはない人間や団体が、「わたしとあなたは、別のひと」という概念を超えて、一体となって創造的に活動するステージである。ここでは、「わたし」(この団体、この国)という概念がすでに溶けて始めている。

「共同」で、なおかつ「創造」する、というのが次世代を感じさせて、すばらしい。たとえば同じ血をひいた家族の中でだって、それぞれに才能は異なる。ましてや会社やグループ、なにかのタスク・フォースのなかでの能力はそれぞれバラエティがある。この多様性が共同創造に掛け算以上のジャンプをもらたす。このことが、共同創造の基本的なスタンスのひとつである。

国や団体は、個人の似姿である。これらはチャンクの大きさの違いだけであり、同じ性質のもので、その成長プロセスも相似となる。個人の意識の成長過程を「モデル」として確立した功績の大きいチャック・スペザーノ博士によると、この共同創造(彼の言い方ではinterdependency 相互依存性)に至る前に、「依存」から「自立」というプロセスがある。しかし自立に至るプロセスまでは人間の意識のなかに、モデルとしてすでに組み込まれている。しかし「自立」は最終地点ではないので、たとえば「超自立」になったりして、次のカベにぶつかる。そのときに陥りやすい穴をチャックは「デッド・ゾーン」と呼んでいる。この概念が面白い。オレがオレが、の限界でもあり、同時に「ひとりができることには限界がある」からだ。「みんなでやった方が、大きなことが達成できる」のも事実だが、共同で創造する方が効率がすばらしくいい、ということもある。それは多人数が同時にひとつのタスクに向かって「創造」するからだ。創造は、足し算でも掛け算でもなく、階乗算であるからだ。これは「多様性のなかで」より激しく化学反応として起こる。

「わたしは、できる」から「わたしたちは、できる」へ脱皮したときに初めて、このデッド・ゾーンが抜けられる。自立を通過した後のまったく新しいステージ。それが「共同創造」なのだ。

しかしこの共同創造は、まだヒトの意識には充分に浸透しておらず、鋳型としてわたしたちにはまだ充分に組み込まれていない。「わたしは、できる」から「わたしたちは、できる」へと脱皮するときに、クォンタム・ジャンプ、量子的跳躍が起こる。ここの曲がり角は、そんなに簡単に曲がれないかもしれない(わたしはすでに簡単に曲がった、とも言っていない・・・)。しかし、なんなく曲がってしまう人がいることも事実であり、その人の今までの経験値や、持っている信念/観念にもよるのだろう。

「わたしは、できる」人たちがたくさん集まって、「わたしたちは、できる」タスク・フォースが結成され、生き始めるとき、そこに古いタイプの力学と、新しいタイプの力学の両方が働く可能性がある。古いタイプの力学は、パワーストラグルであり、新しいタイプの力学が共同創造である。そのとき、古いモデルから新モデルへ、どういう場合にいけるのか。想像するに、それは「その構成メンバーそれぞれが持っている多様な才能」にどれだけフォーカスし、それが花開くと「確信するのか」が関係するのだろう。

ユーロ経済圏が生まれたのは、これのビッグチャンクが起きている、と推測できる。もちろん、政治的にいろいろな目論見や個別の意図はあったろう。しかし、時代の潮流のなかで見た場合、それは「共同創造の1プロセス」である可能性が高い。凡アメリカ圏(南北アメリカ)、凡アジア圏もまた、通貨とともに統合されていくと思われる。アジアは(思惑が違いすぎて)統一できない、という見方をする専門家もいるが、時間はかかるだろうがフロー(flow)は止められない。そしてそれらの凡ヨーロッパ、凡アメリカ、凡アジア圏は、通貨とともに凡地球圏、地球通貨(たぶんその名前に、ドルはつかないだろう)となっていく。その前に現在の実質世界通貨、米ドルはクラッシュする可能性が高い。共同創造へのフローは強力で、かつ上位概念の力も働いていそうだから、誰にも止めることはできない。そして世界の構造がそこを起点に変わっていく。その形に沿わないものは淘汰される。

話を戻すと、共同創造、それは地球上のあらゆるメタ・チャンクで同時に起こるだろう。いや、起こっている、と信じたい。しかしチャックの成長の三角形の二辺目の角を曲がるのには、ある種のショックが必要のかもしれない。ショックだって、生き延びることができれば、そんなに悪いものでもない。

私たちは、だれがなんと言おうと「統合」に向かっている。そして統合は、共同創造のステージで加速するだろう。

喜多見 龍一


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