【2008年09月号】言葉はマトリョーシカ人形である。そして、言葉のなかに、その人の「認知」が潜んでいる。

おいっ子がロシアに行ったときのおみやげに、マトリョーシカ人形を買ってきてくれた。次々と同じ人形の小型版が入っているその構造は、左右に鏡を平行に立てたときの無限映像のように、人間の意識を不思議と刺激する要素を持っている。この多層な現実を英語ではMeta(メタ)と呼んでいる。形而上学は、Meta-phicis メタフィジックスであり、コンピュータ言語など、言語を定義するのに使う言語を「メタ言語」、自分が世界を認識しているのだ、と認識している認知を「メタ認知」という。どちらも、より高次なコンセプトなので、メタを「超」とか「高次の」と訳すこともあるが、構造的にはマトリョーシカ人形で、入れ子構造となって、同じ人形の外側にもうひとつ大きな人形がある仕組み、と考えた方が視覚的にとらえられて、意味に近づける気がする。

7月末に出版されたクリスティーナ・ホールPh.D. の「言葉を変えると、人生が変わる」----NLP の言葉の使い方、という本の編集に最近まで没頭していた私は、NLP の中の「メタモデル」という考え方を興味深いと思ってきたが、しかし、通常言われているメタモデルの考え方には、なにかなじめないものを長く感じていた。なにがなじめなかったかは次回にするが、まずは、言葉はメタモデルである、ということを理解しなければならない。

たとえばあなたが子どものお母さんだとする。子どもがあなたに、「あー、もう人生がイヤになった!」とマジで力なく訴えてくる。言われた方は、ヤレヤレと、深いため息でもつきたいところだが、相手が「人生がイヤになった」という言葉に行き着くまでには、言葉の「メタモデル(多層構造)」がある。たとえばその子が、その言葉に行き着くまでに「どこから」「どこを経て」そこへ至ったのか、ということをお母さんのあなたは、子どもに「質問」をすることでさかのぼっていく。たとえば、「学校のクラスメートのタカシ君に先月から5回も話しかけたのに、そのたびに答えてくれなかった」ということが、元々の発端だったとわかったとする。そうするとあなたの子は、そのことを「たかし君は私のことを無視した」と認識するかもしれない。次に子どもは「クラスメートが、私のことを無視した」と認識する(かもしれない)。さらに認識は、「クラスメートは、誰も私のことを好きではない」と発展し、「誰も私のことを愛してくれない」、「人生は生きるに値しない」というところに認知が移っていく(かもしれない)。もちろんこの認知の変化は、ある時間のなかで醸成されていくわけで、ここではモデルとして示していることになるが、しかし同時に、この認知の「削除」「歪曲」「一般化」は、私たちの言葉の中で頻繁に日常的に、しかも、どうしようもなく、起きているのも、まぎれもない事実なのである。

そもそも私たちは、私たちのまわりの現実を、頭のなかで「言葉」として認知している。つまり私たち人間は、言葉を通じないで、起こったことそのものを「不定形の感覚刺激の連なり」のまま、記憶に入れることができない。これは神経言語(NLP) の研究の基礎的認識だ。私たちはなんでもかんでも、外界で起こったことを「言葉」にすることで「認知」「認識」している。

こんな小難しいことを考えるのはイヤだ、と言っているひとも、実は頭のなかでは、このシステムが確実に作動して、この構造から逃れることはできない。外の世界で起こっていることを「言語」として認知したとたんに、私たちはこの「削除」「歪曲」「一般化」(ホール博士によれば、これらはすべて「一般化」のひとつのバリエーションとおっしゃっているが)は、どうしても起こらざるをえないのだ。

これはちょうど、こんな比喩に近い。山の上の方で岩が崩れて、ゴツゴツした石が川の流れに落ちる。そのゴツゴツの石が川に流されて、ローリング・ストーンしていく間に、下流では、まあるいツルツルの石に変わってしまうのに似ている。元々は、タカシ君が返事をしてくれなかったことが5回あった、という「事実」から始まっているのだが、それが、人生に疲れた、人生は生きる価値がない、という極めて極端な結論(認知)に行き着いてしまう。私はそんなことはない、といわれる方は、メタ認知がちょっと不足しているかもしれない・・・。

日本人は本来、歴史的には、言葉を大切にしている民族であって、言霊(ことだま)という言葉があるくらいで、それを口から発しただけで、「言葉が世界を形作る」、と私たちの先祖は感じてきた。しかし同時に私たちは、外界で起きていることを脳の中に認識として置くために、ある言葉に行き着く瞬間に、必ず、元々の感覚刺激(言葉以前の外界の動きを私たちの神経器官がとらえたもの。これをNLP では、プライマリー・エクスペリエンス、一次的体験と呼ぶ)とは別物になる。言語化されたと同時に、削除・歪曲・一般化されてしまう。私たちの認知システムは言語化と同時に削除・歪曲・一般化される、ということを毎瞬毎瞬、分かっていなければならない、と主張したのは、アルフレッド・コージブスキー(ホール博士はコージブスキーの第一級の研究者)である。時代はNLP 成立の一昔前だが、コージブスキーの仕事は結果的にNLP の成立に深く関わったことになる。

この、「タカシ君が5回返事をしなかった」という事実から、「人生がイヤになった」へ至る歪曲の多層な言語的認知の階層、これをNLP では「メタモデル」と称している。そしてこれをお母さんが子どもに、「なにがあったの?」とか「なぜ、そう感じるの?」とか「だれが?」と聞いていく質問をもって、NLP では一般的に「メタモデルの(回復質問)技法」と呼ばれたりする。しかし、ホール博士は、この一般的なメタモデルの解説の、ちょっとあやしげな部分をまったく別のアプローチで超えていくわけだが、それはまた次回。今回はまず『世界は○○である』という認識自体がメタ構造をもっていて、意味がマトリョーシカになっている、ということを意識してみよう。

喜多見 龍一

※(本年7月末発売済みの驚異的な本、クリスティーナ・ホール博士著「言葉を変えると、人生が変わる」より一部抜粋)

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