【1998年3月号】私たちは『感動』という印象を食べ、重要な『栄養源』にしている。

喜多見 龍一の読むワークショップ
1998年 3月号

私たちは『感動』という印象を食べ、重要な『栄養源』にしている。

人生に本質的に大事なものをひとつだけあげて、と言われたら、多分、「感動」と答えるかもしれない、と最近思う。

それはカタルシスそのもので、サラピーの本質以外の何者でもない。もちろん、良質な映画とか、小説とか漫画とかアニメとか、そういうものの中から感動するものもあるけど、こういうのってないですか?

道を歩いているの、春の日の、夕方かなにか、暑くもなくて、寒くもない、風がソヨソヨ気持ちよくて、緑がきれいで、なんか急に懐かしいような甘酸っぱい気持ちになって、「あれ、なんか、これって、最高に幸せなんじゃない?!」みたいなやつ。あれ、突然押し寄せて来るのよね。突然、なんの前触れもなく。『すべてがカンペキじゃあーッ!』という感覚。宗教的法悦感みたいな感じですよね。最高に気持ちいいんだ。
だいたい、そういう時期っていうのは、精神的にも非常に健康なんで。元気ね。つまり「感動」が元気のバロメーターなんだ。

元気だから感動が来るんじゃなくて、感動するから元気になるんです。逆じゃない。つまり「元気がなかったら、感動すりゃいい」ってことになる。(なんか乱暴な気もするけど、正しい)

しかも「感動」が起こると、同時に強力なカタルシス(感情浄化作用)が働くから、「現状」がどうあろうと一旦状況を「リセット」してくれる。つまり「現状」も捨てたもんじゃない、というふうに。これ、すごいことでね、優秀なセラピストでもなかなか、こううまくはいかない、というくらい。しかもこれら全部を自分でやっちゃうんだからね、安上がりだし。元気の素(良い「印象」)はいろんなところに落ちているわけだけれど、やっぱり「感動」にまさる栄養価の高いものはないでしょう。

1日1個の「感動」で、相当長く元気が出ます。今日から試そう。

  喜多見 龍一


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