【1999年1月号】「飽きる生物」人間の日常の中のトキメキの発見。

1999年 1月号

「飽きる生物」人間の日常の中のトキメキの発見。

人間というのは、繰り返される日常を送っていると、なんというか徐々に腐ってくるような感覚というのを、どなたも一度はもったことがあるのではないだろうか。この感覚は人間に顕著なもので、アヒルが毎日同じ池で泳いでいて飽きたから他へ行こうとか、ネコがこの家は見飽きたと腕組みして悩んでいる話は聞かない。つまり人間だけが「飽きる」。で、人は飽きると、トキメキの方向へ冒険の船を船出させたくなる。

思うに「飽きる」というのは、よいことなんじゃないだろうか。あまりに飽きたままにしておくと、環境(自分のまわり)の方から「もう、いい加減にしたらあ・・・」と「加速」させられてしまうこともある(具体例:だから昨今のリストラなんかの気配がしたらサッサとバイバイすると魂は喜ぶ)。つまり「飽きる」とは、「その人の魂が体験しようと思ってこの世に出てきた道へと導く衝動」の一部である。そっちへ行ってみると、ああ、こういう道へ続いているのか、と感動することがある。まさに天使さんの采配とでも言おうか。上記の例(リストラ)でいえば、経済は廻らないかもしれない。しかしそういうこととは「別の系」で、魂は喜ぶのだ。天使さんはあなたを「かきまわしたい」。かきまわす、とは沼の底に人生を沈殿させないための天恵である。人は人生をかきまわされそうになると、大抵「悲観的に」それを見る。が、それは間違いである。ぬかみそは、1日に1回はかきまわさねばならないのだ。

「トキメキとは、春の日の土の上を裸足で踊ることである」。あなたは死ぬ時に「チッ、あれをやり残した」と言いながら息絶えたいか。人生はいろんな場所で分岐する。仮に飽きた道を続けるのもコミットしている(決めている)なら、いい。どの場所にも、天使さんはトキメキの粉をひそやかに蒔いてあるのだから。

  喜多見 龍一


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