【2010年7月号】「希望」とは、世の中のために「行動」しつづけること(Patch談)。


みんなと「シェー!!」の格好をするパッチ

Dr.パッチ・アダムスのユニークな半日ワークショップがつい先日、無事終わりました。今年2010年のパッチは、時間は半日だけれど、レクチャーではなくてあくまでワークショップ形式でおこなった、ある種ぜいたくなものになった。やっぱりパッチは、相互交流があり体験的なワークショップが断然面白い。会場はもうひとりも入りませんという満席。

今回のテーマは特にいまの日本のひとに大切と感じた「希望」にフォーカスしてくださるようにお願いしておいた(12年間3万人を越える自殺者を出し続けている不思議な先進国日本に、少し危機感もあって)。パッチはいくつかのお決まりのテーマを持っているんですが、それではなくて、「いまの日本に必要だから、パッチさんお願い」とお願いしておいたら、日本に着いたときには、「あー、このひとはこのテーマについて、深く深く深く考えてくださったんだな」、とすぐにわかりました。

当日の1カ月くらい前にパッチからfaxが来て、参加者全員に「事前宿題」を出しておくように指示された。宿題というか、ユニークな事前ワーク。そのなかのひとつは、「希望についての俳句をひとつ作っておくこと」だった。参加者もこの「宿題」を楽しんだようだ。私自身も楽しんだ。ちなみに私の俳句は「希望とは、明日また昇るおひさまのこと」字余り・・・。
私も始まる5分前まで知らなかったが、このワークショップは全編体験エクササイズだらけだった。椅子なんか最初から不要、と言われて260個くらいのイスを急遽参加者といっしょに片づける。たぶん、パッチが講義をしている時間は30分もなかったと思う。

しかし、パッチというひとは、そこにいるだけで空間を「あたたかいもので満たす」ということが自然にできてしまうひと。ああいうのは、彼がいままで「なにを話してきたか」ではなく、「いままでなにを行動してきたか」が自然にからだから溢れ出て、それに近くのひとが感応してしまうから起きるのだと思われる。たぶん、「癒し」というのは、こうした温かい空間に一定時間つつまれることをいうんです。

パッチは「行動のひと」だ。今から40年前に、いまのゲズントハイトのような「夢の病院」をおれは建てて運営するんだ、と宣言。しかし、最初の14年間は1ドルの寄付も集まらず、最初の16年間は、いっしょにやろうという仲間もひとりも集まってこなかった。それでもパッチはあきらめたり、希望を失ったりすることはなかった。それは、なぜかというと、「彼は、その間もその夢に向かって1ミリでも1ミクロンでも、日々行動し続けていたから」。
ひとはひとのために、世界のために「行動」しつづけているとき、決して「希望」を失わないのだ、と。

しかし、パッチ自身はこのワークショップをやるまでは、自分では今まで一度も「希望」について考えたことがないのだと言う。えっ、と思ったが、つまり、彼にとっては「希望は、常に自分とともにあって当たり前のもの」なんです。なぜなら、毎日それに向かって「行動」しているから。

ワークショップの最後に、参加者からさまざまな、とてもユニークな「行動宣言」がありました。たとえば、「毎日乗るバスの運転手さんに、おはよう!! と言います」とか、この方はお医者さまですが、「患者さんがわけのわからないことを言ったとしても、やさしく接します!!」(このお医者さんはいつも患者さんにやさしいんだと思いますが)とか、「子どもを幼稚園に送っていくときに、毎日スキップしながら行きます!」というお父さんはとってもよかった。他にも、「かみさんに怒られても、これからは私は怒らないでいきます」(うーん、そうだよねえ!!)とか、「これから毎日、いたずらします!!」(いいぞう!!)、「遠くにすんでいる祖母に、いま私はなにができるかを毎日考えます」というひとも。どうです、どれひとつとっても、すばらしい宣言でしょう?


パッチのやさしさは心にしみわたる

こういうふうに、世界は1ミリずつ、そのひとのまわりから良きものになっていくのだと思います。

喜多見 龍一


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