【2010年9月号】私たち日本人を知らず知らずのうちにドライブする「無常観」という二面性をもったDNA。

日本人の行動パターンは、他の国の人々に比べて独特な部分があって、それがときに魅力的に映ったり、不思議に思われたりする。その根底にはなにがあるのか、ずっと考えてきたが、ある時から、それは「無常観」なのではないかと思うようになった。今まで講師の先生たちにもこのコンセプトを説明してみたが、あまりかんばしいレスポンスはなかった。たぶん私の英語の説明がつたなかったからだろう。しかし最近、言葉のプロであるクリス(ティーナ・ホール博士。NLP)に説明をしたら、5分でわかってくれた。無常観は、英語には訳しずらい言葉だ。が、彼女は理解したあとすぐこう言った。「それは、アクセプタンス(受容)ね」と。すごい認知だ。確かに無常観の本質は「受容」にあるからだ。

日本を代表する哲学者、山折哲雄氏も日本人の死生観や無常観について言及している。美空ひばりさんのちょっと前のヒット曲「川の流れのように」(作詞、秋元康)が日本人の「無常観」をよく表しているとおっしゃっている。

日本人の多くが確実に無常観を感じた1945年夏、敗戦の日。私の父はこの戦争のとき、外地行きを望んだがなぜか許されず、若人がおんぼろの飛行機に乗って特攻に至るのを見送る側になってしまった。彼は上官になんども自分が代わりに行くことを申し出たが、ここでも許しは出なかった。父がそこでいかに無常観を感じたかは想像に難くない。

無常観が日本人を深いところでドライブしている、と私は思う。この無常観がどこから日本人のDNAに刻まれたかは定かでない。「仏教」なんじゃないか、とクリスは言う。山折氏も仏教に言及している。それはそうなんだけれど、と私は思う。でも加えて、なにか日本の「自然」がこの考え方に影響した可能性もある。日本は四季がはっきりしている。季節がはっきりと移ろう日本という自然環境が無常観につながる感覚を生んだのかもしれないと。

日本人は異様に政治に対して文句を言わない。あるところで、あきらめている感覚があって、ひどい決定や変化があっても、なにも言わず(なにも感じていないわけでなはないが)、その変化に対応しようとする。日本語の「しょうがない」にも、このコンテキストは含まれる。これも英語に訳しにくい。自分の意志ではなにもできない、と直訳はできるが、日本語の「しょうがない」に含まれる、「大きな環境としての成り行き」的なニュアンスは訳しようがない。
クリスがいみじくも喝破したように、日本人の無常観は、深い「受容」につながっている。彼女は、日本人はこの独特の死生観であり、自然のうつろいであり、万物流転であり、形のあるものから形のないものへの変転である「無常観」を、日本人の行動に「強い受容」として働く、と見抜いたのだ。

「無常観」自体はネガでもポジでもなく、ただそこにあるわけだが、山折氏の書籍「無常という名の病」(サンガ刊 絶版)からもわかるように、そのアウトカムは比較的ネガティブに偏るようなイメージがある。しかし、無常観を受け入れているから余計がんばれる、というような、ポジな作用も多々あるように思う。太平洋戦争が終わって、焼け野原になった日本が茫然自失の無常観から、「この世がからっぽだからこそ(空であるからこそ)、一生懸命がんばるんだ、という父の世代の働きが、いまの日本の基礎を築いたわけで。「空を知った人間の強さ」が尋常でないのは、なんというか、ブルース・リーのクンフーの無敵さと相通ずるものがあるようにも思う。

同じものに投資する日本人の投資家と米国人の投資家がいるとして、ともに1億円相当を運用してそれを詐欺とか大変動とかで失い、すってんてんになったとする。そのとき、そのファンド会社だかなんだかに、米国人なら猛烈な勢いで食ってかかる、というか必ず即訴訟する。しかし日本人投資家はどうだろうか。もちろんここでは一般化しているから、全員そうとは限らないが、世界的には大変奇妙な印象のことが起こる。その日本人は、『この一億円は、もともとなかったもの(この感覚が独特)。一億円を失っても命が失われたわけではない(命との比較も興味深い)。かえって、「無用なものが」(この感覚は日本人だけだろう)なくなっただけなのかもしれない』などと感じ、訴訟もせずに四国巡礼に行ってしまったりするのだ。これは欧米人には信じがたい行動である。大戦時に、矢折れ弾尽きてもなお、肉弾と称して敵陣に向かって無謀な死をいとわなかった日本兵は米兵にとって、信じがたい行動をする気味悪い存在として印象に刻まれたのと一脈通ずる。

無常観は、受容であり、受容を促進する。そしてひとは往々にして、受容に至るまでジタバタする(その典型が「死の受容」)。しかし、ひとはいったん「受容した後」、新しいチカラを得ることがありうる。私たち日本人は、ブルース・リーのような独特の粘り強さで、世界に貢献できるのかもしれない。

喜多見 龍一


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