【2000年3月号】神様は、畑を耕している。そして時折、私たちの人生を壊す。


2000年 3月号

神様は、畑を耕している。そして時折、私たちの人生を壊す。

神は畑を耕している、というのが私の持論である。

昔、映画を観た。男は庭師(ガーディナー)である。庭木に関してはメチャ詳しいが、社会的知性はない。まわりが勝手な勘違いを重ねて、ついにはその男は大統領にまでなってしまう。「ご意見を!」と言われると「伸びすぎた枝は切らないとね」とか言う。禅の公案と勘違いして、まわりはひれ伏す。フォレストガンプや山下清もそうだったが、ハンディキャップの人々が照射するある種の精妙なオーラってえものがあって、それに触れると人は、今までと同じようには生きられない。そうした隠れた神の共通分母は、まず、まったく知性とは別種のものである、人生に勝とうなどとと思ったこともない、まったき平和である、完全無垢である、役に立とうと思ったこともない、自分が神だとまったく認識していない、ことである。

彼は「反射」する。神社のご神体はいつも「鏡」であり、それはゲシュタルトであって、まわりから彼に向けて発せられる言葉を返す(返さない)とき、彼こそが神だと気づく。その反応、対応が、神なのである。
人は、田舎のあぜ道を歩いているとき、突然、神に出会う。神は、畑を耕しているのだ。決して本を書いたりしない。本人が神だと思ったことはただの1秒だって、ない。

神は都会では別の形で存在する。あなたをイライラさせるもの、あなたを悩ませるもの、あなたを立ち止まらせるもの、いままでのあなたを完膚なきまでに叩きのめすものとして、屹立する。人生が壊れるとき、必ず、そこに神が関わっている。無自覚の神が。まったく神と見えないものこそが神であるという、受け入れがたい人生の意味の逆転。
それに出会ったとき、人は畏怖する。おお、人生はこうなのか。なぜこのまま行かせてくれぬ、と呪いながら、しかし心の奥底では、その断固とした、ある種いさぎよい徹底的な力に、変な感服をしたりもする。それは、その力学に神を感じるからにほかならない。 神は、反射であり、壁であり、ゲシュタルトである。それは、懐かしい顔をしている。いつか、どこかで、遠い昔に会ったことのあるような。あの時も、私の前にお出ましになられましたよね。お懐かしゅう、ございます。いつか、あなたのところに、私も帰りましょう・・・。

[番外情報]東宝東和提供「ハーモニーベイの夜明け」(原題:INSTINCT動物的直観) の事前試写を見てきた。メチャ面白い。絶対観よ。原作は当社刊「イシュマエル」ダニエル・クイン著の哲学的小説。テッドターナー賞受賞。94年刊(今も初版本が手に入るという幸運!?)上製四六判250P\1,850。羊たちの沈黙のアンソニー・ホプキンス&ザ・エージェントのフットボール選手役好俳優キューバ・グッティングJr。ホプキンスは前年に役者引退を宣言していたがこの映画の脚本を読んで「もう一作出る」と言った。本と映画は設定が違うが本質をよく表現している。この映画の内容が上記で言っているゲシュタルトの見本です。

  喜多見 龍一


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