2000年 5月号 女神のへそは曲がっている。 しかし人生のへそもまた、曲がっている。 |
|
女神は人に、常に「サイン」を出している。野球で3塁に走者がいる時など、監督は露骨なサインを出す。尻を叩いたり、痒くもない鼻を掻く。しかし、こと人生の女神のそれは、野球より「ほのか」であって、見逃す人も多い。女神であるからして、男神よりも理不尽な「行動パターン」なのであって、きまじめな人ほど、そのお声を聞くことあたわず。「なんだよお」というくらい、真面目な人に、冷たい・・・。いくらお勉強ができても、学級委員のように真面目でも、てんで相手にされない。厄介である。なんだか分からない。理不尽きわまりない。
むしろ一見投げやりに、「どっちゃでも、ええがな」という大陸的おおらかさの人に微笑みやすい。まったくもって、へそ曲がりなお方なのである。
通常それらのサインは、直接その対象とされる事柄とは、なんの関係もない、むしろ積極的にもっとも遠い事柄を使って伝達される。たとえば、電球のタマがいつ切れるかとか、道の向こうから歩いてきた小学生の独り言とか、コンピュータのフリーズとか、クルマのエンジンの調子とか、恋人の気まぐれとか・・・。
しかしそれは「宇宙の玉突き」なんである。それが分からんと、この話は分からん。宇宙が玉突きをして、最後のひとタマが、小学生の独り言に、なるんです(断固的な言い切り・・・)。 |
|
喜多見 龍一 |