【2000年5月号】女神のへそは曲がっている。 しかし人生のへそもまた、曲がっている。


2000年 5月号

女神のへそは曲がっている。
しかし人生のへそもまた、曲がっている。


女神は人に、常に「サイン」を出している。野球で3塁に走者がいる時など、監督は露骨なサインを出す。尻を叩いたり、痒くもない鼻を掻く。しかし、こと人生の女神のそれは、野球より「ほのか」であって、見逃す人も多い。女神であるからして、男神よりも理不尽な「行動パターン」なのであって、きまじめな人ほど、そのお声を聞くことあたわず。「なんだよお」というくらい、真面目な人に、冷たい・・・。いくらお勉強ができても、学級委員のように真面目でも、てんで相手にされない。厄介である。なんだか分からない。理不尽きわまりない。

むしろ一見投げやりに、「どっちゃでも、ええがな」という大陸的おおらかさの人に微笑みやすい。まったくもって、へそ曲がりなお方なのである。

通常それらのサインは、直接その対象とされる事柄とは、なんの関係もない、むしろ積極的にもっとも遠い事柄を使って伝達される。たとえば、電球のタマがいつ切れるかとか、道の向こうから歩いてきた小学生の独り言とか、コンピュータのフリーズとか、クルマのエンジンの調子とか、恋人の気まぐれとか・・・。
こういう、いわば「どーでもいいこと」を通じて彼女のサインは顕現されるわけで、とおーってもシュールな性格なのである。そりゃあ見逃すはなあ。無理もない。小学生の独り言なんか、だれが分かるちゅうねん・・・。

しかしそれは「宇宙の玉突き」なんである。それが分からんと、この話は分からん。宇宙が玉突きをして、最後のひとタマが、小学生の独り言に、なるんです(断固的な言い切り・・・)。
大体こっちの調子のいい時は、よくお声も聞こえて、「あかんあかん、あかんがなあ」とか、「ほほう、そお。そうするん? ほんまにいいんやな」とか、「ええなあ、にいちゃん、調子でてるやん」とか、「いったらんかい、ガンガン」とか・・・。

しかし「女神のご神託に逆らう」というのもまた、独特の味わいがあるかもしれない。命さえ落とさなければ、経験を積む分には、よい。そりゃ、絶対ダメとおっしゃっている所へ行くわけだから、心して、意図的に行くわけだけど。でも人生は、成功するためだけにやってるわけじゃないからな。それはそれなりの「きわめて稀で、良質な経験」を積むことができる。「人生の神秘的果実」を得る方法は常に、「振り子を流れと逆に振る」ことが奥伝なのである。

  喜多見 龍一


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