【2000年7月号】「感動」とは、創造の源へ近づく瞬間。 その「瞬間神」状態をいかに持続させるか。


2000年 7月号

「感動」とは、創造の源へ近づく瞬間。
その「瞬間神」状態をいかに持続させるか。


たまたま朝、用事があって5時前に起きちゃったりする。淀んだ室内の空気から、外に出た瞬間に感じる冷気、朝という時間帯がもっている稀で精妙な匂いとオーラ。あれって、人を感動させる。生きててえがったあー、と。そんなに長く持続はしないんだけど、人はそこで、黙する。あるいは、美しい人を見たとき、といったって綺麗なねえちゃんを見た、というんじゃなくて、人が創り出す美しい瞬間に立ち会うことができたときにも、人は感動する。だいたい「自然」と「人間」ですよね、人が感動する対象って。映画なんかは、そのうちの人の部分かな。

そして、人が「感動する」ことによって巻き起こる不思議な連鎖。感動すると人は、清浄な水に打たれてより洗われ、より人に温かくなり、より創造的になり、世界をより本質的、より構造的、より瞬間的に把握できるようになり、身体は内側からより元気になり、頭はより高速回転するようになり、万事をより良い方向へ向かって収斂させる不思議な流れに乗れるようになり、自分のセンターにより瞬間的に立ち戻れる。すごいぞお、これ。これってさあ、神に近づいているということでないかい?

感動した瞬間に、なにか人間という繭の内側から電気が灯るみたいな。ポッと。あるいは別の位相にズレ込むというか。とにかく、日頃、昼あんどん状態の繭がその時だけ明るくなるわけです。そうすると、日頃「なあんも見えへんなあ・・・」とお嘆きであった、あなたの10センチ隣の天使さんの目にも、急にアリアリとあなたが見えるようになる。「ああ、なあんだ、ここにいたのねえ」と。

そうすると、通電体の天使さんの身体を通じて、ビビビビビッと、あなたと創造主との間がつながって、最初言ったような不思議な善循環が始まるのです、たぶん・・・。そうじゃないと、なぜああいう赤ん坊状態になるのかが説明できない。元居た場所とつながって凡人がいきなり超人になる。スーパーマンが着替えをする電話ボックスみたいなもんだな、感動は。

ただ問題は、その超人状態があまり長続きせん。3日間連続で感動状態が持続するなんてのは、あまり聞かない。せいぜい30分とか、1時間とか。シューウゥゥ・・と、繭に灯っていた明るい電気が徐々に停電状態になって、昼あんどんに逆戻りする。その感動時間を持続させる方法もあるんだろうけど、本当に大切なのは、どこでも感動を発見できる無垢な目線。私たちのまわりは実は感動にあふれている。子供なんか、でんでん虫がニューッとツノを出すのを見ただけで感動するよ。私も洗濯機が回っている水の渦を見ているうちに感動したことがある。ねえ、これ、いいでしょ。主婦の人なんか、ばっちりよ。
  喜多見 龍一


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