【2000年9月号】「ママ大好きだよ」と言って15歳の少年は引き金を引いた。


2000年 9月号

「ママ大好きだよ」と言って15歳の少年は引き金を引いた。

米国のある学校で起こる校内大量殺戮の前、家を出るときに、少年は母に愛を告げてから命を召し上げた。

最近、ある人から、こうした少年の、なんというか、ある種オタクな殺人が起きている国はアメリカと日本だけだ、ということを聞いて、なるほどと納得した。子育ての方針も、凶器の種類も、文化も異なるふたつの国に、なにか共通した空気が流れているに違いない。それが「競争」という空気なのかどうかは、定かではない。

人は人を、なぜ殺してはならないのか?この問いにシンプルに答えられる大人が何人いるのだろうか。どうしてもこの答えは宗教的なものになりやすい。つらい答えだという人もいる。私なら、こう答えるかな。「あなたが殺そうとする人は、あなた自身だからだ」と。

またリアリティの欠如、というよりリアリティの未定着、という見方もある。思春期の頃までは、その身体の中に、世界のリアリティをまだ定着、確定させていない。浮遊している。

私が高校の時、実家のそばの果物店でバイトしたとき、当時欲しかったドラムセットを買う金の足しに、釣り銭を何百円か何千円か、ちょろまかした。論理的にはそんな金を盗んだって、ドラムの皮一枚分にもならないし、危険や失うものの方が大きい。にもかかわらず、私は実行して、その3時間後に、2階に呼ばれ、即クビになった(商売人を甘くみてはいけない・・・)。温情から家庭にも警察にも通報はなされなかった。不正な金額をさっ引いてちゃんとバイト代はくれた。その温厚な処理にも頭をガンとなぐられたような気がして、私は呆然と、降りだした雨に打たれるままに、みすぼらしい濡れたネズミとなって、とぼとぼと家へ歩いた。私にとって、その瞬間から、世界は急に「リアル」なものになった。想像することと、実際に起こすこととは、まったく違う種類のことなのだと、心底知った。

また、若い人のオタク殺人には鬼子母神を象徴とする力が働いているケースもある。鬼子母神は、ボリボリと子供を食らう。しかし、母は子に愛がないわけではない。愛はあるのだ。あり余るくらいに。子もまた、母に愛はあるのだ。過剰なほどに。少年は「ママ大好きだよ」と言って、引き金を引いた。

母鳥は、完璧なタイミングで我が子を巣の下へ落とす。そのタイミングを逸してはならない。早過ぎれば失速して落ちて死ぬが、だからといって、その時期を延ばしすぎれば、今度は自分が鬼子母神となってしまう。まず、安全で保護された巣の外へと落とす。そして大切なのは、我が子が飛ぶと「信じる」ことである。「世界」を奪われた少年は、必ず、古い囲われた世界に「復讐」する。
  喜多見 龍一


 >  喜多見 龍一の読むワークショップ