【2011年1月号】私たちは「姿勢」で未来を創り出し、世界に「貢献」している。

セミナーに出ていると、先生が使う言葉のなかに頻出する用語がある。言ってみれば「セミナー用語」みたいなやつだ。英語でいうと"attitude"もそのひとつ。「態度」と訳されることが多いが、起きてくる出来事に対して私たちが持つ「姿勢」のこと。日本語訳としては「態度」より「姿勢」の方が英語本来の意味が伝わるかもしれない。

私たちのもとに日々やってくる「出来事」(happnings) に対して、私たちはある態度・姿勢を持つことになる。その特定の出来事に対する私たちの「姿勢」こそが、「あなたがその出来事をどう認識して頭のなかに格納したか、現実をどう位置づけたのか」を表している。

たとえば、昨晩遅くに帰って来た夫がお酒臭かったとして、「チッ、このポンポコリン!!(ちょっとかわいくしました・・・)」と思うか、「あー、このひとが時折こうやってストレスを発散するのは、健康にも家庭のためにもいいことかもね」と思うかの違いだ。彼が本来どのような気持ちで遅くまでお酒を飲んだのかは彼自身の問題だが、世界の進行は、この「あなたの姿勢次第で」どっちにも転んでしまう。これが人生の面白いところだ。

どんなに静かに暮らしているひとにも、必ず滋養深い「出来事」は用意されている。ひとの心理とその社会の構成は、私たちに常に「出来事」をもたらすように(うまく)作られている。そして一般に信じられているように、世の中には「良い出来事」と「悪い出来事」があるわけではなく、「中立な出来事」に対しての私たちの反応、つまりそれに対して私たちがとる「姿勢・態度の違い」があるだけなのだ。

魂の経験が深いひとが出てくると、今までこういう出来事にこういうユニークな反応をしたひとはいなかった、という「新しい姿勢・新しい視座・新しい意図」で返すひとが出てくる。こうして今までとは違った私たちの未来が創られていくことになる。ひとりが「できたこと」は、人類全体への貢献として、その瞬間から万人に、未来の恩恵としてもたらされる。次のより良い世界を形作っていく素材になる。そう。今夜あなたの家でなされるかもしれない出来事に対する、あなたの「新しい態度」は「世界への貢献」に他ならないのだ。

どこかの大統領がする「新しい意志決定」も、今夜のあなたの「新しい姿勢」も、人間には等価である。世界のどこかの家で今夜も静かにおこなわれている「新しい姿勢」「見方」「態度」こそが、明日の世界を変えていくチカラそのものなのだ。

思うに、私たちは「出来事に対する姿勢」という魚を捕ってくる鵜飼の鵜である。といってもだれかに仕えているわけではなく、単に鵜は魚を捕るようにできているのだ。七十億羽の鵜につなげられたひもを束ねる鵜匠は、確かに鵜たちが狩ってくる魚を待っているが、その真の姿は隠されている。一見、神のように見えるがそうではない。鵜匠は、とてもおかしなことに「私たち自身」である。

鵜であり鵜匠でもある私たちは、いくつかの次元にわたって存在していると思われる。数学的に証明されている「五次元の世界」とはどんなものかと想像することがあるが、もしかするとそれは「印象」「意図」「姿勢」「視点」「隠された優しさ」などと呼ばれる世界なのかもしれない。鵜が採ってくる魚は、今までにない新しい種ほど珍重される。鵜匠としての私たちは、『おー、こういう出来事に、冗談でなごませる、という反応ができるんだねえ!!』と「新しい反応」を極上のうま酒のように珍重する。そしてその「姿勢」は、新しい世界を構成する新しいピースとして使われていくのだ。

喜多見 龍一


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