【2001年5月号】父さん、いま思ってるんだけど私は、あなたのようでした・・・。

2001年 5月号

父さん、いま思ってるんだけど
私は、あなたのようでした・・・。


今回は私的な話。
父が逝った。享年83。最後の最後はガンの痛みがモルヒネを上回った、と聞いて落涙した。死に目には会えなかった。海外出張から帰国の成田着2時間前に亡くなった。帰る日は伝えてあったので、少なくともその日までと、がんばったのかもしれない。
私はなぜか、この歳(いま50)になるまで、家族の死に際に間に合ったことがない。いつも火葬が終わっていて「遺体」というものに対面したことがなかった。しかし今回は、父も不憫に思ったか、通夜も告別式も参列叶って、すべてのプロセスに立ち会った。人が死ぬとすぐ来る(まあ、来ないのも困るが)葬儀屋との打ち合わせは、喜劇以外の何者でもない。亡くなった本人が上から見ていたら、なにをしているのか分からないだろう。そして、人はこうした時にもセールストークをする、という新しい発見。『湯灌しないとご遺体の脚の関節を折ることになりまして、ついては、・・・』。しかし、滞りなく事を運ばねばならない喪主の心中を察すると声を呑むしかない。 うーん、でも立場を替えると、その営業マンは世界で一番「引き裂かれたセールスマン」に違いない。それはそれで、ご苦労さま。
父は馬が好きだった。競馬もだけど、乗馬を教え、国体の審判までした。納棺に駆けつけてくれた多くの生徒たち。そのウェットな見送り方が、生前の父の、人との関わり方を知らしめる。ひとりの女性が、雑誌から切り抜いたカラーの馬の写真や馬型の千代紙を何十枚も柩の中に散りばめた。これには親族全員参りました。もうダーダーに泣いた。お棺には、シルクのような上等な乗馬服と英国製の乗馬用ヘルメットが添えられた。そして、それらは遺体もろとも、最新鋭の高温度な釜で焼かれて、すべて灰になった。Ashes to ashes..... 。しかし、やっぱ、人間は、仕事以外にとことん好きなものを持つべきだな。そうでないと、人生の最後をのっぺらぼうで逝かなくてはならない。 今回の父の葬儀では、音楽はかけなかった。早稲田の校歌という話もあったが、結局取りやめになった。私は、個人的にはかけたったんだけど。葬式の、故人を偲ぶ音楽というのは、いい。私は自分自身の葬式にかける音楽は決めている。「ラジオ体操第一」。これは悲しいぞお、思いっきり。これがかかって泣かない奴はいない。
若い時には、自分は父とはまったく違うと思ってきたが、長じて、なあんだ、私はまるで父じゃないの、と思うようになった。父は昔の人だったから、家ではあくまで厳格な家長として振る舞い、気短だった。今も覚えているのは、私が小学校低学年の時、トイレは水洗ではなく汲み取り式だった。作業員が家に、終わりましたと挨拶に来たとき、私が思わず「臭いッ」というと、即座に私は張り倒された。父さん、私も、まあ、少なからず、まっとうに育つことができたように思います・・・。
  喜多見 龍一


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