【2001年7月号】過去と未来は溶け合おうとする。


2001年 7月号

過去と未来は溶け合おうとする。

 ひとりの男がいる。その男の過去は、魂の奥深くに刻まれた記憶の鋳型として、男の未来を規定する。その凹としての記憶の鋳型は、凸としての未来を男に引き寄せる。そして、鋳型と鉄は、溶け合い、融和し、幸せなる結婚をして、神のもとへ甘い蜜の贈り物として届けられる。人生は、そのように粛々として進められる。すべての人間は、生きていく間に、それが欠落のエネルギーにあふれたものであれば「穴」に、そこまでいかない場合は、aというアクションを世界に投げることでAという結果が出た、という「経験」の積み重ねとして、「判断のプログラム」を作る。担当は確か前頭葉だったかな。穴であった場合は、そのひとの人生は穴埋め作業の連続となる(うーん、味わい深いー・・・)。経験による判断基準の場合は、それがそのひとの「世界の地図」となる。しかし、ここが面白いところで、実は「世界に地図は存在しない」のだ(そんなあ・・・)。アメーバのように時々で形を変えていくので、判断基準はただの「役立たず」となる(いけず・・・)。ここがミソだなあ。つまり、世界は常に、ひとの判断を裏切り続ける(そうじゃないとシステムにならないからねえ)。そうして、判断が世界から裏切られたとき、ひとは、「おー、世界って、こうくるのねえ」と人生の味わいというやつを味わうのだ。親に十全に育てられた子は、幸いである。がしかし、そうでなかったとしても、それもまた、勝るとも劣らず幸いである。そうした男こそが、もっともチャンスの多い人間であり、もっとも「お楽しみ〜」が多い人生を賜った祝福された人間なのだ。だってさ、別に、人生、成功しなくたって、いいじゃん。では、この穴と判断という鋳型をひとつも持たない人間がいるであろうか、と思うでしょ。私ね、これはいないと思うんです。なぜって、この次元に存在する理由がないはずだから。まあ、まれに別の理由で存在するものもある、という話もあるが、自分の目で実際に見たことないから、あやしいと思ってる。この穴と判断という凹の鋳型を持つことで引き寄せる凸の鉄(通常、ガチョーンな体験)というリアルな融和も味わい深いが、「現在」のなかで過去と未来を融合してしまう方法論もないことはない。まず、その鋳型を、ひとつひとつ取り出して、「ほう、こういう鋳型ねえ。まあ、うるわしい形ねえ。叩いてみちゃおうかな、コツコツ」などと、客観的にながめることが、それだ。心理療法はこれをやっている。あなたはどっちの道が面白い? 「ドライブのかかった鉄の道」(あるいは味わいの道)か、システムのソースをながめてみる「透明な風の道」(あるいは気づきの道)か。どっちの道も楽しいのね。せっかく地球に、その「楽しみ」を求めて、我ゆかんと挙手をしてきたあなたである。存分に楽しまれたい。
  喜多見 龍一


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