【2002年5月号】混血のすすめ

2002年 5月号

混血のすすめ

 混血すると人は、だいたいのケースにおいて、まず、より美しくなる。壮健になる。血が遠ければ遠いほど。逆に、より身近で遺伝的に近しい人との混血、結婚は社会的文化的禁忌であるといわれている。遠いほどよいという混血の考え方からは、神の「世界創造の意図」を感じてしまったりもする。この、より遠い二者が全く新しい、より秀逸な生命を生むという「混血の定理」は、いろんなことに応用できる。これは同時に「創造の定理」でもあって、先日も書いたように「遠い二物が出会う」方が、そこから生まれる創造の火花はより激しく散って、より力強い創造物が生まれることになる(手術台の上でこうもり傘とミシンが出会うのは美しい)。一方、より近しい者、同じDNA同士が混血しても、バリエーションが増えないために、全体的に新たな秀逸(ま、駄作も)は生まれることなく、種としての生命力は弱まる。神様独白、「もー、だめじゃん。掛け算の元を少なくしちゃー・・・多様性が変容を生むって、何度も言ったじゃーん」。
時間だって混血する。たとえば過去と未来の混血。離れれば離れるほど、統合されたときに独特の価値を生む。過去と未来は混じり合い、細かなエマルジョンとなって、二度と分離しない完全なる酢と卵黄の混血となり、リニアな時間軸という概念は溶け、より高次な四次元マヨネーズ状態となる。では、感情の混血。悲しみの極みと喜びの極みが混血すると、なにものにも影響されぬ力強い感情が生まれ、えも言われぬ芳香の果実となる。感情は力強い馬であるが、感情を超えた自在な菩薩もまた、おわすわけで、悲しみと喜びの混血は菩薩の境地である。ほんじゃあ、ほんじゃあ、生と死の混血はいかに。生と死が混血すると、どっちでもない状態がやってくる。どちらでもある、と言ってもいい。生きながら死んでいる、というと、なんかダメなおじさんみたいだけど、そうじゃなくて、その人の意識の重心がどこにあるかの話。これは生き方に深く関わってくる。
ではこれはどーなる? イケイケとシンプルライフの混血。イケイケでもなければシンプルでもないイケシン状態は、経済的自在菩薩状態かもしれない。どっちゃでもええねん状態に至ると、これは振り子の針が左右に振れた後に登場する概念であるがゆえに、自由闊達なところがあって、結構楽しい状態と思われる。シンプルライフもかなり創造的なんだけど、イケシン状態は、輪をかけてすごい境地だぞお。ではでは、為替のトレーダーとマザーテレサの混血は? 新しいタイプの社会貢献型経営者となって、日本の政治家にしたい人になるかもしれない。悪魔と天使の混血、これは聖書の時間を逆にさかのぼっていけば分かるけど、神。太陽と鉄の混血は、三島由紀夫じゃなくてー、っと。おお、そうじゃ、提案なんだけど、ヒマな時、ぜんぜんヒマじゃない時、「混血あそび」をして、なんかとなんか(反対物)が混血するとどーなるのか想像すると面白いのお。一円にもならないが、これから時代が向かう先をあなたは一歩先に知ることになる、かもしれない・・・。
  喜多見 龍一


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