【2012年7月号】真実でないものは、生き残れない時代が来た。

この5月、ブログ(ヴォイス・カフェ内)に書いている連続読み物のなかに、読者の皆さんからのレスのひときわ多かった項をここに。5月は、皆さんも朝、太陽を見上げた方も多かったと思いますが、何百年に一回の天体イベントがふたつもあった。金環日蝕は占星術的には、「太陽と月の合(コンジャンクション)」で、スターゲイザーで作図してみると、そのふたつの合は、牡牛座と双子座のちょうど境目で起きていることがわかります。これだけも特殊な感じがある。

天体と人間界は「相似」の状態ですので、あっちで起こったことはこっちでも起こる。シンボルでいえば、男性的なるものと女性的なるものの合体。あるいは、感覚・感情・直感(月的なもの)にエネルギーが注がれた。または、リング(結婚)へのフォーカスなど、さまざまに受け取れます。感覚的にはあまりネガティブなものは感じず、(変化の後に)"いい感じへの着地"が予測されます。

ブログ読者に、金環日蝕が人生へ与えた影響をうかがってみると、「鏡が割れた」とか「もう、ちゃぶ台をひっくり返してしまって、自分らしくいられる場所に移行した」というような体験も聞かれました。

私は、物理的、社会的、政治経済的なの流れも当然観ていますが、もっと大きな、カタチのない、時代そのものの、巨大な潮のような流れ(集合無意識の、ある方向性をもった動き)も常に観ています。

そもそも今は、時代の大きなターニング・ポイントである2012年。「変化」の時代であることは明白。そこにもってきて、さらにこうした天体イベントも加わって、ひとの気持ちや生き方が、その大きな潮の流れから影響を受けることは必定です。いま私たちに来ている「時代の圧力」は、さまざまな分野に影響を与えていますが、特に私たち人間の「自己成長」分野に大きな波が来ている。その最たるものが、「真実でないものは、もはや生き残れない」というエネルギーでしょう。

これはちょっと嫌な時代になったなあ、というのが私の正直な実感です。なにが嫌かって、ちょっとした自分自身へのごまかし、世界への、ひとへのごまかしが、状況から絶対的に拒否られちゃうからです。まあ、こんくらいいいだろうとか、まわりもそうだしー、みたいなのが、ずえーんぶ、もうあきまへん・・・。

神さまが、「もう、あかん言うてるでしょー?」とおっしゃって、「もー、これでわかったあ?」「ん? じゃーもー、これでは、わかったよねえ?」というように、何度でも、人生にダメ出しされる。ま、ダメ出しというのは人間の側から見た言葉ですけど。

ポイントはですね、この今という時代になって、「真実でないものには、"状況"が出来上がっていかなくなった」ことにあります。

逆に言うと、それが真実であった場合は、自分のまわりの状況がパタパタパタと、自然になんのチカラも必要なく出来上がっていく。にもかかわらず、真実でない場合は、シュンシュンシュン・・・あれあれあれ・・・と状況が次々倒れていって、ふさがってしまう感覚。明確に二分されるようになった。

バシャールの「分岐する宇宙」のロジックでいえば、「真実列車」と「うそっこ列車」が走っていて、そのふたつの列車はぜったい交わることなく、別の宇宙へとつながっている。そして、うそっこ列車の終着駅(うそっこ宇宙)は、いつも大変なことが起きており、おちおち寝ていることもできないような世界。一方、真実列車の終着駅(真実宇宙)は、太く未来とつながっていて、ここに来た住人たちが新しい世界を創っていくんだなー、と感じられるよーな世界。

比較的最近までは、時折はうそっこでも、世界として成立していたんですが、地球のヴァージョンアップが何度もwindowsupdateのようにおこなわれ、もはや今という時代の「選別力」はかなり厳しいところまできてしまった感がある。もう、こてんこてんに「ほら、そこに真実でないものがあるじゃない!

見えないふりしちゃダメよー」とまわりの世界から、「状況として」言われてしまう。もう世界が成り立たないので、そこで自分そのものが沈没していくか、はたまたその自分のなかのウソをみずから観て、自分の方をupdateしていくのか、の選択を迫られる感覚といったらいいか。

「おい、どっちにするんじゃい?」と、ちょっとガラの悪い神さまが、ドラ声で言う。そこで、うじうじしていると、「はい、おひとりさま、うそっこ列車が発車しまーす、とそっちに誘導されてしまう。

でも、ここで自分の来し方を良く観て、あ、ここがダメか、と気がついて修正をかけられれば、救われます。「生き残れない」というのは言葉の綾で、もちろん実際はどんなひとも生きていていいんですけど、ただ、そういう厳しいエネルギーは確実に来ている。しかし一回くらいは敗者復活戦もあるだろうし、それに100%まっ白じゃないと生き残れないのであれば、人間で選ばれるのはゼロになってしまって、神さましか残りません。そうじゃなくて、自分のことを客観的に見られればいいんじゃないかと。ま、そうじゃないと、人間もやってられませんし・・・。

喜多見 龍一


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