【2012年9月号】いま、私たちの好奇心が刺激されている。

NASAの火星探査機「キュリオシティ」(Curiosity)にギアが入って、いま火星の表面を、ギーガチャンとはじめてのドライブをしている。キュリオシティは「好奇心」の意。ということは、いま私たちの地球上の「好奇心」も刺激されているよーに思う。私は、その時代の大きな社会的シンボリズムは、私たちの実生活に影響を及ぼす、と信じるものです。火星に限らず、すべての面で今、私たちの好奇心が刺激されているのではないか。

好奇心は、人間をここまで進化させてきた神さまの意図の実に巧妙な道具である。犬やネコにも好奇心はあるが、人間の脳のしわがちょっとばかり多かったせいで、その好奇心にドライブされた興味範囲も、めちゃくちゃ広大なものになった。

だいたい、人間は(これを読んでいるあなたもそうだと思うけれど)、「なんだか知らないけれど、この分野が好きなんだ」というエリアを必ずひとつやふたつはもっている。たとえばうちの息子でいえば、いまの時期、彼は夏休みの宿題に出た読書感想文を書こうとしているんですが、彼が大好きなのは「へんないきもの」で、同名の連作本もある。奇妙なのは姿カタチだけでなくて、行動も妙な・・・。なんで彼がこういうものが好きなのか、論理的には説明はできない。

ひとが、それぞれ別々の「こだわり」を持つのは、まあたぶん前世の影響なのかもしれないが、それが全員集ってカバーされる膨大なエリアに意味がある。あるひとは、有機野菜の育て方に、あるひとは金属元素の美しさに、あるひとはお金の増やし方に、あるひとは素粒子のダンスに、あるひとは人間の奥深い心理に、あるひとは謎の深海生物に、あるひとは樹木の年輪のでき方に。およそこの世の中にある、ありとあらゆる事柄が、ひとの好奇心の対象になっている。ひとによっては、非常にセグメントされた小さくて特殊なエリアにしか興味がない、というひともいて、でもそういうひとも(ひとだから)「人類に貢献している」といえる。

こうして神さまの意図によって(たぶん)、私たちに与えられた好奇心は、とどまるところを知らない。この「無限な探求」は、これが分かったらじゃあ次と、いつになっても終わりがない、というのがすごい。拡大しつづける。人間がこれからきっと宇宙に出て行くことになる、そういう未来にも、その時代ならではの好奇心の対象が私たちの世界を拡げ続けるのだ。そして好奇心は、世代から世代へと受け継がれていく。一代では終わらない。だって、面白いから。

好奇心には、いけない方面の好奇心もある。「こういうことしたら、どうなっちゃうんだろう?」とか、「普通これをこうするんだけど、そこを反対にしてみたら、その世界はどうなる?」とか、「ちょっと内緒にこんなことしてみたら、すっごいことにならないか?」とか・・・。まあ、そういうことからとんでもないクォタム・ジャンプ、飛躍的な科学発見なども起こるわけだが。

好奇心には、道徳はない。道徳はないんだけれど、反社会的な好奇心は、バシャールの真実列車じゃないけれど、いまの時代、すぐにあぶり出されて、あれよあれよという間に、「あっ、こうすると、こういうことになっちゃうのね」という反作用によって、「うまくいかない例」としてそのひとの心のなかに記録されることになる。これはある種、「失敗を学ぶための好奇心」と言えないこともない。

つまり、好奇心には、良い・悪いは本質的にはないんだけれども、そのどっちの好奇心にあなたが乗ったにせよ、それはあなたを進化させてくれる(ちょっと皮肉入り・・・)。好奇心の振幅はとても大きくて、大学のある分野の専門教授にもなれるし、めちゃくちゃ手の込んだ希有の詐欺師にもなれる。壁のなかに入っているひとびとも、すっごく好奇心あったんだと思うのね。でもひとはいつでもやり直しはできるので、好奇心のエリアを、ほんの少しずらすだけで、すっごく社会の役に立ったりもするわけです。だって、その道のプロなんだから。

Curiosity killed the cat.「好奇心は猫をも殺す」(英語の諺、9つの命をもつと信じられている猫でさえ、好奇心がすぎると死ぬことになる。好奇心もたいがいにせよの意)、と言われるが、それでも止まらないのが好奇心だ。私たちは質問の答えが付箋で隠されているだけで、その答をみんなでとことん考えたりする存在なのだ。中東の紛争地域が実際にどうなっているのか自分の目で観てみたいと思ったジャーナリストが撃たれたりもするのだが、だからといって、彼・彼女たちは、次に生まれたとしてもまたそこに行くのかもしれない。

それほど、好奇心が私たちをドライブするチカラは強力そのものだ。好奇心は、私たちがお伝えしているバシャールのワクワクや、ソースのワクワクなど、私たちを深く動かしていく「根源的なチカラ」と共通するものがある。私たちは、あなたにとって極めて特別な興味対象が目の前にやってきたときに、それがどんなにかすかな一瞬であろうとも、必ずそれが自分の魂と響き合うと直感的にわかる。つまり簡単に言うと、電流が身体を走り抜ける。それはあなたがそれを選ぶというより、その対象があなたの心臓をむんずと鷲掴みにするような感覚だ。もうそれを観てしまったら、そのことしか考えられないようになる、なにものか。それがワクワクの対象であり、好奇心の対象だ。

好奇心の対象は、あまりにもあなたの魂と深いところで結び合っているので、いったんそれを知ってしまったあとの人生は、知る前の人生とはまったく違ったものになる。そしてそれは、あなたを「本来、あなたがたどるべき人生の道筋」、複雑で、途中で何度も折れ曲がっているのに、そこに至れば確実に、「あー、ここが"わたしの場所だ"」と叫べるようなところへと、あなたを確実に導く。

それは次元と時間を超えた、あなたの魂のコミットメントであって、他人が、それ、ちょっと変なんじゃない?

とか、それ、あなたには似つかわしくないよ、とか、あまりそういうことやるひと、いないよ、とか言われたとしても、「それがどーした!!」、「これがいいんです!!」ときっぱり断言できる、宇宙からも祝福された「光輝ける道」なのです。

喜多見 龍一


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