【2003年3月号】生きているから うれしいんだあ・・・。

2003年 3月号

生きているから
うれしいんだあ・・・。


 ひとはいろんなものの中毒(依存症)になる。食べ物、アルコール、ギャンブル、タバコ、クスリ、お金、買い物、勉強、子供、愛、セックス、仕事、睡眠、パソコン、ゲーム、会話・・・・。だいたいが「一度、気持ちよかったもの」だが、それがないと人生がウツロに感じられてしまう、というところに問題がある。つまり依存症の、より本質的な問題は「生きがい、喜びが内在化できているか」という一点にしぼられる。こう考えると「ヒリヒリする存在感」を求めるリストカットも、依存のひとつともいえる。
最近、こわーい夢をみた。友人とある飯屋にいて、飯を食い終わって帰るだんになって、『あっ、おれ、今日一日、なにが楽しくて生きてるのかわからない』と思って、頭の右上に黒い縦線が三本(ズドーンと落ち込む)という夢だった。10代にこんな時期があったのだが、起きてからも数分そのイヤーな気分が続いていた。すぐに、いやいやそうじゃない、と思ったけれど、あの一瞬を脳はまだどこかに「底なしの怖れ」として蓄えているのだ。生きがいが自分の内側にしっかと定着していないと、常にソワソワ不安になるし、なにか物理的に気持ちいいことが身近にないと、恐ろしくて生きていけない。小学生高学年の頃、この夢のような、漠とした不安を感じていたのを思い出す。ある夏の日に両親と兄と潮干狩りをしていて、急にこの虚無に襲われ、子供ごころに自分のバランスを保つために、「きのう買ったプラモデルを、あしたは楽しく作れるぞお、だからきょうは生きていよう」と思ったことを思い出す。深刻な生き死にの問題とは認識してはいなかったが、でも、それが人生の中で、本質的に最重要なことだ、ということはその頃からわかっていたような気がする。
ひとによって、生きがいはいろいろあるが、要な点は、それが「しっかり内在化」されているか、ということの方にある。あまりにしっかり内在化されてしまうと、もはや「もともとの生きがいは具体的になにだったか」さえ思い出せなくなる。つまり具体的な生きがいより「幸せ感がしっかり内在化される」方が大切だ、という逆転現象。この状態を言葉で記述してみると、「もー、生きているから幸せなんだもーん」というよーな状態。
では、なにがその生きがいと幸せの内在化を促進させるか。これはむずかしい問題だが、きわめてシンプルにいうと、毎朝、私たち起きますね。ふとんの中で、おぼろげにこの世界に帰って来て、ああ、そうか、私はこの世界に生きてたんだ、と思い出しかけてその後です。その後に今日一日、私楽しい、私幸せ、という感覚を理屈はまったくなく、感じられる日々がどのくらい長く続くかで、この「幸せの内在化」が起こるのではないでしょうか。つまり、長く、朝起きたとき、おお、気がついたら私はこの世界の中で幸せだあ、ということが何百日、何千日と続いていくと、その幸せ、というものがハラの中に落ちていって、しっかりと自分の場所を見つけて居すわる、と。そうなるともう、私の生きがいはなにか、とさえ考えないうちに、「いつでも私は幸せ」状態になるのではないでしょうか。それはノーテンキな状態でもあるが(とくに理由もないから・・・)、人間として、生活していく日々がいつも輝いて、美しき哉、人生、という映画のタイトルのような人生の幕開けでもあるのです。
究極の生きがいとは「生きていること自体」と見つけたり。
  喜多見 龍一


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