【2003年7月号】常に心配が絶えない「格闘の道」と成功を観るだけの「安穏の道」。 そこにあるのは「信頼」の差である。

2003年 7月号

常に心配が絶えない「格闘の道」と成功を観るだけの「安穏の道」。
そこにあるのは「信頼」の差である。


 人間は「心配」する動物である。四六時中、心配している。飼っているネコの健康状態から、持っている会社の株価、野菜嫌いのこどもの未来、つれあいの今日のご機嫌、クルマのオイル漏れ、そして明日の雨まで・・・。持てるものすべて、環境のすべてが心配のタネと言っていい。あまり毎日心配しているので、心配のタネがひとつ減ると、もうひとつ見つけなくちゃ、と感じるかもしれないほどだ。しかし同時にだれも皆、心配のない日々を渇望してもいる。心配のいらない日々はさぞかし甘味であろうなあと。
心配の道とは「格闘の道」でもある。ダムの決壊をふせぐため、両手両足、それでも足らずにオデコやお腹まで使って穴をふさぎつづけなければならない。そして「ぜーぜー、これでもう穴はふさいだ」と思った瞬間、また別のところから水が漏れはじめるのだ。
この反対が「安穏の道」、別名「導師の道」、自動運転の楽ちんな道である。ここでは、あなたはなにもしない。いや、正確にいうと、「信頼する」こと以外はなにも。この道があることに最初に気づいたのは、子だくさんの母親かもしれない。母親ほど心配しやすい人種はいない。たったひとりのこどもだって心配なのだ。それが三四人いたら、もう最初から白旗を挙げるしかないだろう。肉体的にも、精神的にも、これ以上わたしにはできません!(自我の降伏)・・・となったときに、ばんやむを得ず、「あしたはこの子がじぶんで解決できると思おう」、と思い至るのである。そしてそれは、正しい。その瞬間から当のこどもは『ン? なんか変だな、風向きが変わったな』と敏感に気づくから世界は面白い。つまり自分で自律的にゴールへと向かい始めるのだ。これが世界の秘密であり、世界とは、そういうものである。
母親がこの進行に慣れてくると、「ほー、わたしがゴールの姿を想い描くだけでいいんだあ」、と気づく。ほんとにそう思えるようになると、「あんたはね、できるんだからね」という言葉も自然に出るようになるかもしれない。そうして世界は善循環へと加速する。
このことはビジネスの世界のマネージャーにも応用できる。世の中には格闘型のマネージャーと安穏型のマネージャーがいる。松下幸之助は安穏型マネージャーであって、能力もあり苦労もしているが、自分は「空洞」である、と常に言いつづけた。そして他の誰よりも強く、部下のゴールを明確に「信頼」しえた。合気道の極意みたいなもんで、闘いには、格闘型の指導者より、わたしはなにもできませんので優秀な皆さんがあなたのやり方で闘ってください的な信頼型、安穏型マネージャーの方が強い。つまり、マネージャーの本当の仕事は「明確に部下のゴールを観る」ことであって、みずからダムの決壊を防ぎまくることでは、ない。相手にゆだねてしまう、だけでは、半分。ゆだね、そして「信頼する」「信頼を観る」というところに力点がある。心理学で幼子と母親のコミュニケーションをオブザーブ(観察)する研究分野が確立している。それほど、母親は世界の秘密に一番アクセスしやすいところにいるのだ。神の創造物の原型、それが母親である。
  喜多見 龍一


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