【2003年9月号】日常生活セラピー

2003年 9月号

日常生活セラピー

 セミナーやワークショップの世界、セラピーの世界も時代の空気を呼吸しているので、その目的は同じでも、やり方やプロセスは変わってきている。その変わりようをひとことで表現すると、だんだん「普通になってきている」のかもしれない。たとえば、70〜80年代の頃に流行った、ゲシュタルト的な気づきのセミナー(いわゆる自己啓発セミナー)では、かなり参加者(クライアント)を追い詰める局面もあった。そのひとに最後まで残った、ぜったいに人前で開けたくない秘密の小箱、人前で開けてしまったら自分が壊れてしまうかもしれないものを、トレーナー(セラピスト)がグループダイナミクスを使って、ギリギリのところまで開けようとする、というようなこともおこなわれていた。というとなにか悪いことをしているように聞こえてしまうが、うまくいくと、ネガティブ・ファクターがひとつとれて、とても楽になるわけだが、ヘタをすると人格が崩壊してしまう危険もはらんでいる。いまは、クライアントの安全の方を大切にするので、こうした、追い詰めていって「おい、気づくのかどうかはっきりしろい」というセミナー、セラピーはすべて淘汰されてしまった。商品名だったら申し訳ないが、いまも地獄の特訓みたいな企業研修は生き延びているようだが、いつまで続くかなあ、と思ってみたり。あんなハイ・テンションで仕事されたたら、気持ち悪いですけど・・・。
セラピーの手法にもさまざまあるが、少し前までは、とにかくクライアントの「できないこと」「うまくいっていないこと」にフォーカスして、それをああでもない、こうでもない、とプロセスすることが多かった。しかし、これはどうしても最初に「できないこと」にフォーカスするので、マイナスをプラスにしていかないとならず、なかなかうまくいかない。現在のセラピーの方向は、むしろ「うまくいく部分」にフォーカスをして、いまできている部分を少しずつ拡げていく、という方向性が多いような気がする。
いずれにしても、気づきの道、自己成長の道には、魔法の近道というのはないのであって、地道に、自分に誠実に、気づきを重ねていくしかない。そしてそのときに、なにが大切といって「日常生活」ほど大切なものはないのであって、日常生活で、あなたのまわりにいるひとびと(それはあなたのよく知っているひとたちだ) とどう関わっていくか、自分を甘やかすことなく、しかし責めることもなく、自分のおちいりがちなパターンを越えて、日常のなかで、自分がセラピストであって、なおかつクライアントでもあるという視点で暮らしたい。すべてのセラピーはそこに向かっている、といっても言いすぎではない。セラピーはますます、特別な環境であることをやめ、日常生活の次元に近づいてくると思う。そして最後はどうなるかというと、日常そのものがセラピーと化す「日常生活セラピー」へと至るのだ。そしてそれこそが最高のセラピーの現場であり、もっとも困難な気づきの現場でもある。
  喜多見 龍一


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