【2004年3月号】「感情」という乗り物をよく、観る

2004年 3月号

「感情」という乗り物をよく、観る

 「感情」に関する研究は、いま始まったばかりである。感情は身体からの情報も使い、脳が発生させ、脳と身体は物理的なモノでもあるから、必ず脳の特定の部位や脳内化学物質などと関係する。感情は原初の頃は人間にとって、たとえば火傷する「火」というものに近づきすぎないための安全弁であったと思われるが、現代ではもっと複雑な機能を果たしている。感情研究はまだ始まったばかりで、感情の発露と結果のメカニズムは複雑に樹木が密集した深い森であり、探求は一筋縄ではいかないと思われる。しかし、この森には光輝く財宝も埋まっており、人類はまだその宝を手に入れていない(単に脳機能研究ではなく、感情の活用まで含めて)。人類最後の探索はもっとも遠い惑星でおこなわれ、同時に私たち自身の内面でもおこなわれる。ミクロ(人間)探求の最後は「私たちの意識(霊性)」にまで行かざるをえない。この究極の探求では、世界は逆転し、そのときから世界の定義と意味はまったく変わってしまうに違いない。感情の探求が社会にもたらすインパクトはそのひとつ手前、ラス前くらいか。
感情のバリエーションは広く、35分類というのも見たが、ちょっと考えただけでもっと別の感情も思いつく。35分類の中には「エッチな気持ちになる」も入っていれば「愛」も入っているが、「悟り」や「心にさざ波も立たない状態」などは入っていない(まあ、しょうがいないけど)。しかし、もとはといえばこの膨大な傍系もたった二つの原初の情動から始まったはずだ。「いい気持ち」か「いやーな感じ」か。
感情は「記憶」から生成され、次の「行動」の判断基準となる。感情の秘密は、感情には「裏に隠された意図(自分自身の)」があることが多いということか。セラピー的にいうと。
感情を客観的に扱えるようになると、なぜか知性もアップする。人生の達人にも近づく。そのためのプロセスは、[1](感情を)認める[2]分析する[3]気づく(あー、そうかあ!)[4]行動する(いやでもいずれするようになる・・・我ながらヤな言い方だ)という順になる。まず、出てきた感情を否定しない(しかし、それに強烈にもっていかれもしない)。あー、こう感じてるのね。次に、その感情の「裏側」になにがあるかを推測する(だいたい違った顔がいる)。そこで、ははーんという気づきがやってくる。そうすると、その気づきに基づいて、いままでと違ったアプローチをする。が、だいたいそういう行動はしたくないことが多いので、多くのひとは放っておく。しかし、そうすると、強制的にそのように行動せざるをえない状況がやってきたりする(いわゆるガチョーン・・・)。
感情はひとを殺し、そしてひとを活かす。よい映画を観たあとには良質なカタルシスが起こるが、それは感情を追体験したおかげだ。セラピーの現場で強烈な浄化が起こる場合も、クライアントはその前に強い感情を体験している。逆に、傍目にはたいしたことなく見える緊張(これも感情)でも、3カ月も続けばひとを殺す。感情のうまい扱いは人生を「いい気持ち」にするキーに違いない。
  喜多見 龍一


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