【2013年9月号】戦争を永久に放棄した稀な国ニッポン。 憲法9条の哲学で世界平和に貢献する国でありたい。

いま日本には、着々と「戦争放棄の国」から「武力による平和」という自己矛盾へ向かうセットアップが整いつつあるように思う。一部メディアの(露骨な)サポートにより、"ワークしない方法論"として既に結論の出ている「火力誇示による平和」へと。]

今の時代、近隣国と日本が全面戦争に突入するとは思えないが、疑心暗鬼による勘違い限定交戦くらいはありそうな勢いだ。

世界に冠たる日本の「平和憲法第9条」を改憲しようとする動きが、あたかも"論理的帰結"かのように、私たちの"怖れや感情"を刺激している。

先日テレビを観ていたら、9条改憲反対のリベラル派は(改憲軍事増強論の保守派に対し)「オプション(対抗案)を出せ」と言われていた。

こうした二極対話は、それを観ているひとには、語気や論理などで勢いのある方が、あたかも正論かのように見られがちだ。 だいたい武力・火力で世界に平和をもたらすという方法論は、米国が莫大な国家予算を使ってすでに実行。しかし世界に紛争が減ることはなく、米国は疲弊。ワークしないということを意図せず世界に知らしめることとなった。時代の集合意識は「火力の誇示」は平和に貢献しないというコンセンサスに至りつつあることを忘れないほうがいい。火力は、戦争を引き寄せることはあっても根本抑止にはならない。

武力平和は必ず火力競争に至る。ところがこの兵器は、定価のない超高価な買物なのである。銀座の高級寿司店の時価ネタみたいなもので、客の懐から逆算して、いくらと言っているようにも見える。一国のGDPの1〜4%(日本は1%約5兆円強、米国4%約60兆円強)が払える全額であるので、そこからの逆算で値付けしているように見受けられる。

空母を一隻造ると、ざっと3兆円。膨張したといわれる日本の最後のセーフティネット「生活保護費」(平成24年度)が約3.7兆円であるので、空母を一隻買っただけで、他の予算が同じなら、日本の生活保護者211万人の保護は、ほぼ即刻打ち切られる。

空母の上には艦上ジェット戦闘機が何十機も必要だろうから、一機60億〜100億円(ステルスならその二倍)として30機乗せただけで3千億円。ミサイル迎撃システムPAC3のミサイル一発5億円。最新宝くじ連番満額当選が出ても、一発しか撃てない。その他に戦車8億円、戦略爆撃機(ステルス)3,200億円と、きりがない。

それに弾や爆弾やミサイルには「賞味期限」がある。一度買ったら終わりじゃない。たーくさん在庫をかかえると、それを定期的に新品とリニューアルしなきゃならなくなる。爆弾を延命させる"冷蔵庫"はなく、試し撃ちだけじゃ消化しきれないしー、じゃあいっそのこと、そろそろ戦争やる?  ってことになる。まったくろくなことがない。

火力の見せ合いっこには、果てがない。A国が「こーんだけ」とGDPの3%使って兵器を購入すると、B国はじゃ、うちは5%使っちゃうもんねーと、お互いが安売り競合店状態になってしまう。国家は本来、国民の幸福環境を整えるために存在する。幸福環境の根本のひとつが「平和」だ。平和なくして、ひとの幸福はありえない。軍事費を増大させていくと、幸福環境の構築に手がまわらなくなる。

最近は改憲軍備増強を女性が主張するのに驚かされる。こうした論は、小学生の男の子が兵器のミニチュアを両手に持ってブォーンと言いながら遊んでいるに等しい。兵器はそもそも本来「使えないおもちゃ」であって、それを使われてしまう相手は、今まで巧妙な理由と共に選ばれてきた歴史がある。

日本はいまこそ、武力をまったく持っていない丸裸で(軍事費ゼロ。その分は幸福費に転用)、第9条だけを持ち、「まる裸+平和憲法という斬新な哲学」による新しいタイプの世界平和提案を各国に説いて回るミッションに就くときだ。ウォー・エコノミー(戦争による一時的経済活況)という前世紀の遺物から、ほら日本って夜女性がひとりで歩いてても安全なんです、田舎のおばちゃんも親切です、今までの軍事費はすべて幸福費になってます、徴兵制もなく戦争で子どもたちが死ぬこともないんです、どうです? いいでしょ? あんたんところもどう? と説いて廻る世界貢献ミッションが日本人にはあると思う。日いずる国から世界に新しい平和提案がもたらされる予言のように。

敵国が日本に攻めてきたらどうすんねん、という議論があるが、日頃から世界に「丸腰平和」を説いて回っている国、日本を真正面から撃てる人間はそう多くない。侵略者は既にイメージで負けている。戦いには常に「義」(皆が納得する錦の御旗)が必要であって、例えば米国が、ほとんど丸腰で平和を説くブータンを攻めることはあり得ない。その国のイニシアティブで充分世界に平和貢献がなされていれば。

しかしそれでももし万が一、日本に攻め入る国があるのなら、当然日本は即刻負ける(最初から戦っていないが)わけだが、こちらから戦争に行って敵兵の人生を撃ち倒すことに比べたら、たとえ撃たれて死んでもなんぼかましだと私は思う。占領されたあとに生き残った者達は、徹底的にありとあらゆる手段で、世界に対してその不当を喧伝する。村の中では主張する必要がなかったせいか、日本ほど海外への主張プレゼンテーションがヘタな国も少ないが、効果的な表現力はこの平和モデルには絶対必要だ。

世界の平和にとって、なにより頼りになるのは武力ではなく、「考え方」(世界をどう見るかの哲学)であって、新時代を拓ける新しい見方、とらえ方がなにより大切なのだと思う。そして「丸腰+憲法9条による世界平和実現」は充分それに耐えられる世界的哲学だと信じています。

喜多見 龍一


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