Dr.クリスティン・ペイジのコラム「病気がくれた贈り物」

Dr.クリスティン・ペイジのコラム「病気がくれた贈り物」〜The Gift of Illness〜メディカルドクターの経験を持つサイキックとして「ボディ・マインド・スピリット」の繋がりの大切さを説いてきた彼女が、昨年経験した乳がん。このコラムの中で、その体験を率直に語っています。そこには、皆さまのハートが揺さぶられる
「病気がくれた贈り物」

私はこれまでずっと自分はヘルスケアのアドバイザーとして
「言葉と行動が一致している」タイプの人間であることに自信をもっていました。

そのため、自分に胸のしこりが乳ガンだと分かった時
−それは女性の病気についての新刊書籍の原稿を書き終えた、ほんの2週間後のことだったのですが−
特に、驚くべきことではありませんでした。
これまで20年間に渡って、私はボディ・マインド・スピリットの間の強い結び付きや
「病気は魂からのメッセンジャーであること」について教え、書き続けていました。
そして私は、ここでまさに自分自身の扉をノックしにきた使者と向き合うことを余儀なくされたのです。
振り返ると、私はガンの患者さんの治療に数十年に渡って携わってきました。それにも関わらず、女性と乳ガンの関係で発見した深い感情の動きについて説明する段落を書くことにつまずいていたことを認めざるをえません。 実際、自分が悪性と診断され、その状況に置かれたとき、私は、当然のことながら、その事実に直面することが困難でした。これほど私の注意を引き、そして、これほど効果的に私の人生の道をストップさせる方法は、他にありません。
しかし、私は「病気は魂からのウェイクアップコールであり、しばしば私たちを本来の自己に再びつなげるようとする」を生来の信念としておりましたので、けっして「病気と闘う」とか「病の被害者になった」といった考えはありませんでした。私は、ガンが単に食生活や運動不足といった問題から生じるわけではないことを知っていましたし、病気になるに値するような何か悪いことをしたから病気になったのだ、などとは信じていませんでした。
私には、「魂は私をとても愛してくれており、その魂が乳ガンを創造した。
だから、私は自分の人生に何が欠けているのかに注意を向け、バランスの乱れた箇所を修正する行動を起こすのだ」という強いノウイング(認識)がありました。
ガンと診断された直後から、それ以前には非常に大切に思えていたすべての外面的なトリビア(雑学的な知識)が崩れ去りました。そして私には、ただの身体としての存在と「何が本当に大切なのか」という課題が残されました。

治療を始める前に、自分の深い内面に入っていき、インナーヒーリングのプロセスを行う時間をもつことを許可してくれた素晴らしい外科医を見付けることができたことは、私にとって幸運でした。
私は、この機会〜西洋医学の専門家でも困難に感じる程の治療を開始する場合でも、その治療前に「感情的に良好な状態」でいることの重要性を理解するための機会〜に本当に感謝していました。
最初の数日感、感情的な混乱状態に覆われ、まるで海で溺れているようでした。大西洋の沿岸で波にユラユラと揺らいでいるようでした。ハートは開き、涙が流れ落ちました。
そして、私は、グレートマザーの深い無条件の愛に委ねました。その後、何週間かの間、このアンダーワールド、つまり潜在意識に入っていくストーリーが繰り返されました。
パワフルなハートセンターの音楽にアシストされ、そして、そこでは、何層にも渡る無視されてきた事柄に出会いました。
それは、他の誰かによって無視されたわけではなく、私自身によって無視されてきたものたちでした。
他の人を喜ばせたい、助けになりたい、そして共感したいという欲求の中で、私は"自分"自身、クリスティンのことをずっと忘れてきました。
胸のしこりは自分が、いかにつながりが切れてしまっていたか、そして、いかに自分が自分自身のハートにある温かいホームに帰るのは今だ、ということのシンボルでした。私は、乳ガンがしばしば自己愛の欠如とリンクしていることを知っていました。
しかし、この時初めて私は、自己を見失っているようなら、私たちは自分を愛し育むことなど到底できないということを、身体をもって実感したのでした。
もちろん私はそれまで、定期的にマッサージを受けたり、時間を取って遊んだり、時にはラグジュアリーなバスタイムを楽しんでいました。 しかし、この体験の中で、いったい私のどのパートがそこにはまり込んでしまったでしょうか?
私が女性の病気についての本を書きたいと思った動機は、人々から「あんなに素敵な(ナイスな)彼女がガンになるなんて思いもよらなかったわ」と聞くことに、うんざりしていたからです。
私はいつも叫びたかったのです。
「それが問題なのよ。彼女はいい人すぎたのよ」と。
今や、鏡は私に向いていました。私は、「ミスナイスさん」に早い段階で会うことができました。
私は幼いときに、どのように他の人のエネルギーをリーディングするかを身に付けました。
そのため、私は、彼らの前で気に入られるために必要なことをするのは簡単なことでした。
私の母は私に、他の人に対する見解をあまり早急に判断しないように、そして彼らにセカンドチャンスを与えるようにと、いつもいっていました。
だから、私はそのように、3回目、4回目、5回目・・とチャンスを与えてきました。
そして、私は、「pleaser−愉快な人」になるために、最初にきた直観を否定することがとても得意になっていました。相手にとって付き合いやすい人でいることを誇りに思っていたのです。
そのような状態で、ガンは、自己が消滅してしまったことに気付きかせてくれたのでした。
仕事以外では、私の意思決定のほとんどは、他の人のニーズに基づいていましたし、反対に、私のニーズは無意味なものと扱われていました。それは、私自身にとってさえもです。

しかし、乳ガンはその全てを変えました。

今は、私は"No"と、自分の意思決定が相手に与える影響について心配することなく言っています。または、「たぶん、今度ね」と言って、選択肢の可能性を広げることを心がけています。
そして、私は、病気が生じたとき−特にガンでは−いかに自分が無防備になるかを経験することになりました。
助けやアドバイスを頼んでもいないのに、私はみんなのケアを受けるペットになっていました。
とりわけ、人生で一度も病気になったことのないような人たちがそのようなことをしてくれました。
「食事を変えなさい。断食をしなさい、瞑想しなさい、ビタミンを採ってもっとエクササイズをしなさい」と彼らはアドバイスします。
私は、死に面した状態の時には、いかに簡単にワラにもすがるような気持ちになるかを体験しました。
そして、いかに多くの非難や判断が病気に関連付けられているかも知りました。
「もし、食生活がもっと違ったら、煙草を吸っていなかったら、赤ちゃんを産んでいたら、病気にならなかっただろうに」と。
確かに私は、病気により、人生の中で変えてきたことがあります。これらの決断は、罪悪感や恐れからではなく、判断のない自己愛をベースとしたものでした。
さらに滑稽だったのは、宗教的な迷信の分野をかじったような人たちが、

「もっと信頼を持ちなさい、もっと真剣に祈りなさい」、また「あなたは明らかにガイドに見捨てられたのだから、再びガイドに呼びかけなさい」などと熱心に勧めてきたことです。
それらのアドバイスは、混乱の中、らせん状に落下していった私を揺り動かし、目覚めさせました。
そして私は、大笑いしました。
その瞬間に、私はスピリットワールドにいるソウルファミリーをみました。 彼らは私がガンになったことを非常に熱い想いで祝福していました。
彼らは、ガン以外のいかなるものも、私のたどってきた道を効果的に止めることはできないことを知っていたのです。
私は、愛、特にハートの愛に関するサイキック的な問題点を探究する中で、乳ガンに関して更に深い問題に気付くことができました。
象徴的に、母の胸は、胎児が、形ない存在からスピリチュアルな世界へ移行する間、心地よさと安心を感じることができる場所、そして、マザーアースから滋養を与えられる場所だといえます。
子供が5歳くらいになって、自信を持って両足で立ち、仲間と協調関係を創っていくことができるようになるためには、子供がゆっくりと自尊心を育んでいく間、いつも神聖な愛に包まれているのだという感覚を認識させることは大切であり、母親の役目でもあります。
もちろん、母乳はこのプロセスをとても助けてくれます。しかしながら、子供が両親からの心からのハグを十分受け取っている時には、必要ありません。
問題なのは、子供が乳房からあまりに早く"拒絶"されてしまった場合や、彼らが学校にいくような年齢になっても乳離れできないときに起こります。前者のケースでは、母親が他の子供(兄弟)や仕事に追われ、物理的または感情的にその子に対しておろそかになっているのかもしれません。
子どもは、早いうちに自立することを学び、ヘルプやサポートの必要性を否定し、さらなる拒絶への恐れも否定したりします。そのような女性は、自分に自信があり、仕事では成功しているにもかかわらず、親密な人間関係に不信感を持つようになります。
特に他の女性と人間関係を築くことが難しいようです。彼女は、マザーアースとの喜びを分かち合うことは難しいと感じるかもしれません。
そのような愛に自分は値しないと信じる間は、与えられた滋養を受け取ったり、グレートマザーとのスピリチュアル的なワンネスを求めたりすることを難しいと感じてしまうかもしれません。
別の観点からみれば、決して母親の乳房から離れなかった女性といえます。 当初彼女は、自己責任において母親に依存していました。
しかし環境により、その役割は逆転し、母と子の不健康な共依存関係が育ってしまいました。
私の場合は、このカテゴリーに当てはまります。
私がシャイな子供だった頃、カリスマ的な母のいつも後ろに隠れていました。
そして、時間が経つにつれて、彼女の存在は私の自尊心の発達を阻むものとなり、私は自分自身を失っていました。母の死んだ後も、私は、私自身が潜むシャドウを持つ女性に引きつけられる傾向がありました。

クリスティンとご主人のリーランドさん

ガンという存在によってのみ、私は自分のパターンをみつめることができ、そして強い決意を持って、大地の上にしっかりとたち、「見て、私は成し遂げたわ」ということができました。
診断と治療を行った6ヵ月の間、たくさんのすばらしい出来事が起こりました。親しい友人との関係が癒され、私の人生に大きな喜びをもたらしてくれました。
私は、友人と家族の・・
そして、人生のあらゆるステップを共に歩んでくれた最愛の夫の、愛とサポートにひたっていました。
また、自分の体験と洞察を反映させて、新しく出版する本の多くの項目を書き直しました。
しかし、もっとも大きなプレゼントは、私の人生において最も大切な人に再び繋がり、愛することができたという事実です。

それは、他ならぬ、私自身です。

※コラムの中で語られているクリスティンの書籍(英語版)のタイトルは、 「2012 and the Galactic Center: The Return of the Great Mother」です。