1997年 3月号 地球に張りめぐらされ神経網は、私たちを次オクターブへと導く。 |
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一部が破壊されても全体の通信網は生きる。脳神経を映し絵として創られたインターネット。当初からこの装置は、グルジェフが言うところのオクターブを移行する「付加ショック」機能を孕んで設営された。インドには、破壊を担当する神と、創造を担当する神がいる。あの出口ナオのお筆先にも、タテカエ、タテナオシというコンセプトが書かれた。
おかげで、王仁三郎の人生も破壊と創造の連続になってしまったが・・。世界が引き返し地点に来て、大きく変わろうとするとき、世界はまず一端、壊れる。しかしそれはアンゴルモア大王のようにまがまがしいものではなく、海亀が何億年もずっと引き潮の浜で卵を産んできたように“自然に”起こるだろう。 ギャンブル合法のどこぞの島国に置かれたサーバーから発信されるバーチャルなルーレットに、非合法の国の男がクレジット・カードで賭けた100$は合法か非合法か。ECなどの比ではなく国境や国毎の法律という概念は希薄となる(破壊)。しかし、マイノリティとマジョリティが互角に渡り合える、この装置の中では、それぞれの「文化」はさらに強調されて残る(創造)。といったことが貨幣やTVや郵便などのさまざまな局面で起きる。 しかしこの装置は同時に、「バーチャル化」も加速する。その時、私たちはある「細い橋」を渡らねばならない。遠い田舎の祭りの日を懐かしむように、ある郷愁をもって「肉体」を見る日がやってきてはならない。「バーチャル」と「肉体」の細くて長い橋。それをバランスをくずさずに人間は渡りきれるか。その橋を人が渡り終わったとき、今回の3次元世界を創りたもうた神がつく「ため息」は、安堵のものか後悔のものか。 |
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喜多見 龍一 |