【2010年3月号】人生を、美空ひばり化する。

私のこどものころは演歌が、まだ一部で流行っている時代だった。私自身はFEN(Far East Network 米軍放送)をラジオで聴いているようなこどもだったので、演歌のあの独特の水っぽい、うらみったらしい感覚がやけに居心地悪く、なるべく遠ざかるようにしていた記憶がある。しかし長じて、黒人ブルース好きになって目を転じると、日本の演歌にも共通の情動はあるのだと気づき、美空ひばりの歌には心打つものがあると思うようになった。

先日、美空ひばりのアーカイブを観ていて、そうかあ、このひとは、あまりに早く自分の魂の刻印をまわりの人間(母)から見つけられてしまったという、ある種の"悲劇"はあったものの、その刻印をみずから意識した後は、歌を通してその時代の日本人にポジティブな情動を意図して与えつづけたのだ、と気づかされた(それは苛烈なコミットだったと言っていい)。

戦争中、近所に聞こえないよう押し入れのなかで歌うような子だった美空ひばり(まだこのときは、加藤和枝)は、長ずるにつれ、みずからのなかに、徐々に今生ならぬ「魂のコミットメント」があることを感じるようになる。ひとは産まれる前に大まかな「今生のシラバス」(学び台本)を書き、それにコミットしてこの世に出てくる。美空ひばりは、敗戦の日本という時代の曲がり角を結果的に応援した。この大変化の時代に生まれついた皆さんもまた、程度の差こそあれ、美空ひばりである可能性はある、と私は思う。

ひとは日常的にはそのシラバスを意識することはなく、単に自分は「放っておくと、どうしてもそうなってしまう深いクセ」をもっているのだと感じている。しかしその深いクセが、「結果的に」この地球のコミニュニティに多かれ少なかれインパクトを与えてしまう、というのが本当のところだろう。

しかし、その前にその個人が、以前の生でどんな経験値を積んできたかの分野をレーダーチャートにマッピングすると、魂が若いとき(人生回数小)は、必ずどこかにへこんだ分野があるはずだ。魂の経験バランスがとれるまでには時間(人生回数)が必要だからだ。そのへこんだところを次回の生で体験するというシラバスは基本的にあるだろう。これは「個の魂」の視点だが、ここにグループソウルという視点が入ると、さらにその魂が所属するコミニュティのタスク分野もあったりして複雑化する。3月末発売の今回の本田健さんとの本の収録時にバシャールに聞いた情報(書籍未収録)では、グループソウルは、会社組織みたいなもんだそうだ。ヒエラルキという意味ではないと思うが、係長の追求するシラバス、課長のシラバス、部長のシラバスというのもあり、さらにCEO のもつグループ・シラバスというものもあるとしたら、それら全体のシラバスが個人のなかにうまーく統合・解決されていなければならず、その構造は興味深い。こんどまた、だれかにこのへんの事情をきいてみよう。

いずれにせよ、どんな人間も、この「美空ひばり」という記号が表すような「魂のコミット・シラバス」を持って生まれてくる。このシラバスには、すべてが宿命論のように事細かく書き込まれているわけではなく、再度バシャール情報では、大きな意味での今生の目的が書かれていて、細かいところは当人の生まれてからの選択に任されているようだ(書籍収録)。

ある意味では、すべてのひとが地球コニュニティというこの世界に、貢献している。「どんなひとでも」ということは、社会的ネガティブ(小さくは感情的いざこざ、大きくは犯罪)を引き起こすひとであっても。しかしこの考えは、誤解して理解されるとかなり危険だ。麻原彰晃はこの論理を間違った方向に増長させた。この、「世界をかきまわす嫌われ役」(北欧神話のロキ神に代表されるトリックスター)はしかし、嫌われ行為をおこなうことで、まわりの人間に負荷をかけて結果的に気づきの種をまき、今まで光の当たっていなかったエリアに光を当て、結果コミニュニティ・メンバーに新しい認知が生み、結果新しいルールや法律を生み出すことで社会的な穴をふさぎ、という一連の結果も生む。

そのトリックスターのまわりには、被害者もいるわけだが、以前のバシャールによると、こうした被害者であっても、加害者と霊的には同意して、あるムーブメントの一端をにない、そうすることで自分の今生の「きわめて激しいコミットメント」を選択している可能性もあると。バシャールはそれを「勇敢な魂」と呼んでいる(関係者が実際にはそう感じられないケースがほとんどと思われ、その場合はお詫び申し上げます)。こうした、結果的に生まれるある種の「魂の経験値としての進化」(ニアリーイコール、社会の進化)が、トリックスターたちの嫌われ行為によって生まれる可能性はある。もちろんそれらが起きないで済む社会はより進化した社会といえるが。

自分の人生のなかの、美空ひばりは、あなたの日々の行動のパターンのなかに必ず隠れている。それらを特定するために、私たちの「ソース」のプログラムは独特の構造でかなり役立つと思うが、自分で自分をよく観察していると、大まかな傾向は見えてくるだろう。どんな魂も、なにがしか「こだわり」や「一部を偏重する傾向」を必ずもっているからだ。私たちは美空ひばりではないので、必ずしも社会的に苛烈に成功する必要はないが、自分のこだわりを人生のなかで発揮していくと、徐々に人生がイキイキ輝いてくるのを感じるのではないかと思う。霧が晴れて晴天の野山を駆けめぐっているような感覚。それこそが「人生を美空ひばり化」したときの大きな果実のひとつなのだから。

喜多見 龍一


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