【Kan.】無限の可能性は、あなた自身のなかにある!

クンルン体験者のほとんどが「楽しい!」「すごい!」と口にします。クンルンネイゴンでどんなことが可能なのでしょうか?日常レベルでの成果から宇宙の統合まで!クンルンの可能性について、お話を伺いました。

SJスタッフ
前回(5月号)のインタビューでは、由紀さんとKan.さんがクンルンネイゴンに出会ったいきさつや、クンルンのエネルギーとはどういうものなのかについて、大変興味深いお話を伺いました。紙面にはまとめきれないほどの深いお話でしたね。今日は、クンルンネイゴンを実践するとどう変化するのか、実生活にどう活かすことができるのか、ということについてもっと教えてください。
Kan.
クンルンネイゴンは、もともと覚醒のための秘儀として知られています。ですが、クンルンは覚醒だけが目的ではfないし、覚醒が日常と離れたところにあるわけではありません。クンルンをやると、生命エネルギーが格段にアップします。自分のパワーが強くなったら何でも可能だ、といえるのですが「じゃあ、パワーが強くなったらどうなるんですか?」と質問してくる人もいます。未経験の領域だから、成果がピンとこないのでしょう。
由紀
これからの時代は、一人ひとりが目覚めることが大切になってきます。クンルンはそれを可能にする、本当にシンプルで奥の深い技法です。誰にでもできるし、自分の望むレベルに合わせて実践していくことができます。「覚醒」という言葉がはいることによって、「自分とは関係ない」と思ってしまうと、もったいないですね。それは、言葉のもつイメージに縛られてしまっているからでしょう。クンルンは、もっと実生活に密着した、日常にこそ活かせるものです。
SJスタッフ
おふたりが、クンルンを実践していちばん「すごい!」と感じたことは何ですか?
由紀
私にとっては、自分のなかに無限の可能性を見たことですね。身体感覚にしろ、エネルギーへの感性にしろ、自分の認識をはるかに超えたものが備わっていたということを、クンルンをやって初めて知りました。考えたこともないことが、次々と自分の身に起こったんです。私は、エネルギーワークや実践的なワークに興味がなかったので、クンルンのほかには何も経験がありません。まっさらな状態で、体当たりでクンルンを体験しました。初めて自分の奥深くに眠るパワーに触れたときの衝撃は、言葉にできないくらいです。理屈抜きの、直接体験でしか味わえない世界がそこにありました。それは私のすべてに影響を与えました。そういう領域を垣間見たあとは、前と同じように生きるほうが難しいでしょう。
Kan.
僕が体験した変化はいろいろありますが、いちばん三次元的に顕著にいえるのは、睡眠時間が短くてもリフレッシュできるようになったことですね。何も引きずらないで眠ることが出来るようになった。実感としては、朝起きたら「生まれた」寝る時には「完結」という感じ。一日完結。それは執着がない状態です。クンルンをやっていると、一呼吸完結すら可能です。吸って生まれて、吐いて完結。瞬間を生きるとは、そういうことですよね。息を吸う、吐く。一日が始まる、終わる。生まれる、死ぬ。それら小さな波と大きな波の、無数の組み合わせを繰り返しながら僕らは存在しています。そのことを、常に実感できるようになりました。
SJスタッフ
簡単に話していらっしゃいますが、こういうことを実感として得られるのは、並みのことではありませんよね。その体感で生きていると、日常生活はどう変わりますか?
由紀
私は、自分の人生や、起こる出来事を客観的に見られるようになったと思います。といっても、日々のことは、今までと変わらずにやっているんですよ。ですが、その諸々の出来事を、個人の視点というより、全体的な視点で捉えている感じです。いい加減ということではなく、深刻さがなくなりました。こうでなければならない、というこだわりがどんどんはずれていき、それがなくなったことで、流れに乗ることと、ただ流されることの違いも分かるようになりました。
Kan.
それは、偏りがなくなったということですよね。もちろん揺れはあるし、出来事はおこるけれど、しっかり中心があるから不安や恐怖がないのでしょう。恐怖という感情がだめなわけではありません。たとえば、遊園地の原点は恐怖、スリルですね。でも、安全が保証されているからスリルを楽しめるのであって、事故が起こってしまったら誰も行かなくなる。それはただの無謀ということになってしまいます。生きるのも同じで、安心感がベースにあれば、あらゆる感覚は「快」になります。喜怒哀楽を感じてこそ、生きるということに意味がある。動じなくなる、感じなくなるというのは、ちょっと違うと思います。味わいがなくなりますから。クンルンは、「源とつながっている」感覚があるので、安心して自分のいらないものを手放すことが出来る。常に大元とつながっているからこそ、深刻にならなくてすむんです。
SJスタッフ
なるほど、今まで「手放す」の意味がよくわからなくて、「手放さなきゃ」と深刻に考えていました(笑)。「手放す」というのは深刻にならず、起こる出来事に巻き込まれないということなのですね。物事を無視したり、無感動、無反応な人間になったりするのとはまったく逆ですね。
由紀
何も起こらず、何も感じない人生なんて、生きていてもぜんぜん面白くないでしょう(笑)。クンルンの実践中には、大笑いする人もいれば、逆に大泣きする人もいます。大人になってから、自分のために、自分を癒すために思い切り泣ける、思い切り笑える人はあまり多くないかもしれませんが、それができる素直さを、クンルンは取り戻させてくれます。知らずしらずに抑圧してきた感情を解放できるのは、クンルンを実践している場が安全だと感じ、信頼できるからです。
Kan.
自分の外側にある対象に信頼を求めると、いつかかみ合わなくなった時に「裏切られた」とか「嘘だった」というようなことになってしまいがちです。その態度では、いつまでたっても対象をとっかえひっかえしていかなければなりません。クンルンを実践すると、外側ではなく、自分の中にある源につながることができます。それは「統合」という言葉でも表すことができますが、その状態になれたときに、個ではなく全体を見られるようになるんです。たとえ起こる出来事が同じであっても、それが不安材料になるのか、人生を味わいつくす材料になるのかでは、大きな違いがありますよね。
SJスタッフ
「統合」は、とても大きなテーマですね。よく耳にする言葉ですが、漠然としかイメージできません。クンルンでいう「統合」とは、どのような意味ですか?
由紀
「統合」という言葉は、本の中にもよく出てきますが、抽象概念としての統合は意味がないんです。実際に「つながっている」という実感を持てなければ、机上の空論に過ぎません。クンルンを実践していると、自然と自分のなかに統合が起こり、それが意図せずともまわりに伝わっていきます。頭で、理屈で考えた「統合」とは違います。クンルンは、自分ひとりの練習から始まりますが、すでに宇宙全体の統合までを含んでいます。全体が統合されるためにはまず、一人ひとりの心の中でそれが達成されていなければなりません。自分の内側を統合させる過程において、「手放す」という行為はとても重要です。自分を空っぽにすることで、おのずから満たされ、宇宙と融合することができるのです。
Kan.
自分がいま、ここに存在していることは、すでに宇宙の法則そのものといえます。その法則から離れては存在できません。細胞じたいがまさに宇宙でしょう。食べ物を消化するのも宇宙の働きなら、怪我が勝手に治癒されていくのもまた、宇宙の営みです。自分がそれを知識として「知る」以前から、身体はそういう働きをしています。そのメカニズムはまったく自分の意志の力ではないけれど、それは同時に、紛れもなく自分に備わっている力なんです。クンルンで起こっていることも、それと同じようなことです。自分では認識していないかもしれないけれど、すべては自分から始まっていることであり、自分が起こしている変化なのです。
SJスタッフ
クンルンは日常のなかでこそ活かせるものだ、と最初に伺いました。この「統合」ということも、普通の毎日のなかで起こっていくのでしょうか?
Kan.
もちろんです。人間関係が円滑になり、他人との垣根がなくなってきます。これは、わかりやすいクンルンの効果のひとつでしょう。初対面の人との会話がぎくしゃくするのは、お互いに警戒心をもっているのでつい身構えてしまい、双方のエネルギーが混ざらないからです。でもクンルンをやると、言葉を交わす前から、エネルギーの交流が先に起こり始めます。すんなりとエネルギーがつながると、コミュニケーションがスムーズになります。
由紀
クンルンをやっていると、自分が発するエネルギーの波動が明らかに変わってきますよ。今までとはちがう、人との垣根を感じないような波動が出てきますから、人間関係はおのずと変わってきます。相手も、こちらの影響をうけて自然にオープンになるんです。自分の内側が統合されると、周囲の人たちとも打ち解けあいます。その明るい波動は、どんどん周りに広がります。クンルンの人たちがみんな明るくて仲がいいのは、お互いのエネルギーでつながっているからです。私の周りの人は、みんなクンルンをやっているので、いつも笑いが絶えません。オフィスにいても、どんどん人が集まってきて、おいしいお菓子もいっぱい集まってくるという(笑)とても幸せな環境が実現しています。
SJスタッフ
毎日が楽しくなるとか、欲しいものを引き寄せられるというのは、まさに現実レベルでの嬉しい成果です。日常生活と、「覚醒」「統合」とを分けて考えるともったいない、とおっしゃった意味はそこにありそうですね。
由紀
お勉強や修行のようにとらえてしまうと、クンルンの本質から遠ざかってしまいます。クンルンを実践するための予備知識は、まったく必要ありません。本当の自分自身で生きるために必要なのは、いらないものを「手放す」ことだけです。空っぽの器には、何でも入るんですよ。
Kan.
クンルンは健康法ではないけれど、エネルギーが巡るので身体の詰まりがとれて、根本的に健康状態も改善されます。健康だと、選択の自由が出てきますよね。選択肢が増えるというのは、自由で素晴らしいことです。クンルンはあらゆる可能性を開いてくれますが、いちいちそれについて考える必要はありません。ただやれば十分、それでいいんです。

伯井由紀(鳳崙)(右)

SJ のスタッフとして勤務中に、マックス・クリスチャンセン氏と出会い、ひとめ会った瞬間にクンルンの将来を担う人物として見出される。クンルンのワークショップや受講生との練習会を通じてクンルンティーチャーとしての経験を重ね、2006年5月、世界初のクンルンティーチャーとして公式に認定される。師より与えられた道教名は鳳崙(Phoenix of Kunlun)。

Kan.(天仙)(左)

幼少の頃より武術に親しむ。18年にわたり呼吸法の実践指導にあたる傍ら世界各地の覚者、神秘家、シャーマン、武術家らと親密に交流を重ねる。2005年あるシャーマンの予言どおりマックスクリスチャンセン氏と運命的な出会いを果たし、2006年5月、世界初のクンルンティーチャーとして公式に認定される。師より与えられた道教名は天仙(Heavenly Immortal)。