言葉を変えると、人生が変わる〜NLPの言葉の使い方
ISBNコード | 978-4-89976-113-6 |
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ページ | 300 |
著者 | クリスティーナ・ホール |
訳者 | 大空夢湧子 |
発行日 | 2008-07-30 |
クリスティーナ・ホールPh.D.
大学院時代にコージブスキーの「一般意味論」(General Semantics) を深く研究し、その言語に対する姿勢に強い影響を受ける。1980年初頭から数年にわたり、NLP創始者であるリチャード・バンドラー、ジョン・グリンダーらとともに、技法を開発し、マニュアルをつくり、ともに教えていた。創始者たちが1978年に創設した歴史ある「NLP協会」(The Society of NLP)の現在のプレジデントであり、オーナーでもある。いまNLPをもっとも「構造的に」教えることのできるトレーナーとして、世界でも指折り。博士のもっとも得意分野とするのは「言葉」である。大のクロスワード・パズルファンでもある。
この本は、ヴォイスグループが招聘し、日本人のトレーナー育成をおこなっているクリスティーナ・ホール博士が、以前から書きたかった本であり、NLP界をリードする博士の「世界初」の本。
NLPの世界基準でみても、歴史に残る本となるでしょう。発売が遅くなりましたことをお詫び申し上げますが、喜多見が一言一句、全編を責任編集しましたので、時間はかかりましたが、コンテンツの深さはそのままに、どなたがお読みになっても理解できる本に仕上がっています。
この本は、NLPのなかの「言葉」にフォーカスしています。
「言葉」はホール博士のご専門で、「言葉を使って、どうやって、相手の可能性を開いていくか」ということにこの本はフォーカスしています。
専門研究書というよりは、さまざまな分野の皆さまに広く役立つように書かれています(NLPのトレーナーレベルの方がお読みになっても充分手応えがありますが)。
セラピストがクライアントに、ビジネス・パースンが仕事のなかで、一般の方が子どもに対して、すべてのひとが使う「言葉」の気づきがたくさん詰まっています。博士ご自身がお話しなさるときにも、ここに書かれていることの根本を実際に体現なさっているところがまた、すばらしいのですが。
NLPの本も多数出版されていますが、この本は、そのどれにも似ていません。
彼女は長い年月をかけて、自身の講座などのなかで、言葉をさまざま言い換えて実際に質問し試した結果、受け手は「こう言ったら、こう感じ、こう行動する傾向がある」というデータを蓄積していきました。
そのようにして、この、どこにもない彼女の「言葉」に対する気づきを作っていったのです。
ホール博士は、もともと大学院時代にアルフレッド・コージブスキーの一般意味論(General Semantics) を研究なさっていた。
NLPは色濃くコージブスキーの影響を受けています。それはNLPでよく言われるコージブスキーの言葉「地図は、土地そのものではない」(The map is not the territory)のなかによく表れています。これは「外の世界」(いわゆる現実)は「内の世界」(意識、脳内の認識)とは食い違っている、ことを表しています。
外と内の世界をつなぐ、もっとも大きな道具は「言葉」です。「外−(言葉−内)」という構造で、私たちは「外で起きていることを認識」し、「内に格納された言葉で、外の世界に影響を与えている」のです。このことを扱ったのが「NLP」であるといえます。
また言葉というツールが、良い悪いではなく、どうしても歪曲・削除という一般化をしてしまうのだ、という認識があります。言葉を見れば、そこに畳み込まれているそのひとの「前提」や「信念/観念」を知ることができますし、逆に「言葉」を意識的に使うことによって、「外の世界を変えることもできる」のです。
(喜多見龍一)
本書の具体的コンテンツ
- 私たちは「コンテキスト」(文脈)で会話している。
- 私たちは「質問」をすることで、相手に気づきを与え、可能性を開くことができる。
- カスタネダが伝えようとした「知覚は現実の鏡である」。
- 言葉が存在しなければ、それが表すものも存在しない。
- 私たちは毎瞬、数十億の感覚データからいくつかを選択して感じ取り、それを「言語化」し「ラベル化」して意識に格納する。そのときすでに歪曲・削除という一般化は「自動的に」おこなわれている。
- 私たちは「意味」によって、「注意」をどこに向けるかを指示する。意味が「思考」を作り、思考が「振る舞い」を方向づける。
- ひとは自分の信念/観念で信じていること(だけ)を、再体験しようとする。
- ひとは否応なく「前提」を含んで会話する。
- ひとは信念/観念を捨てることはできないが、再組織化することはできる。
- AはBである、というbe動詞は信じることができない。
- 著者独特の、未来から「過去」を振り返るバックトランキングとフューチャー・ペーシングの独創的効果。
- フューチャー・ヒストリーを作る!
- 「人間万事塞翁が馬」は、リフレーミングの好例。
- 「整理できない」という男性に「質問」をすることでの回復例。
- 「本が速く読めない」という男性をダブル・バインドから救い出し未来を作り出す秀逸な質問例。[これらの例に限らず、本書のケース・スタディ(メタファーとしても機能)は、多くのスキルを統合的・立体的に組合わせされる著者のユニークでクリエイティブな真骨頂部分]
- 「イライラする男性」のサブモダリティ(この場合は、絵)に働きかける。
- バックトラック(この用語定義は一般とクリスとでは異なる)して、一次的体験(言語化される前の体験)に戻ったほうがリフームしやすい。
- 無意識には「否定」は存在しない。
- 視覚の歪曲・削除の実例。
- 「時間の構造」インタイム+ビトウィーン・タイム(クリス独特)+スルータイム。
- 叙法助動詞(モーダル・オペレーター)で、相手の可能性を引き出す質問をつくる。
- 多彩な時制(タイム・オリエンテーション)を使って、相手の可能性を引き出す質問をつくる。
- 著者独特の時制「フューチャー・パスト」(未来過去)の秀逸。
- 「因果的モデリング」(コーザル・モデリング)で、原因の元へ元へさかのぼる。
- 形容詞と副詞では、サブモダリティが異なる。
- 言葉の変容モデル=メタモデル。
- 「説得子」(コンビンサー)を可能性を拡げる方向で使う。
- 大勢を相手に話すときは「聴覚デジタル」の用語を使う。
- 可能性を拡げるための「質問の4つのタイプ」[1] 前提を含む質問(Conversational Postulates)[2]修辞疑問 (Rhetorical Question)[3] 埋め込まれた質問(Embedded Qestion)[4] 付加疑問(Tag Question)この項、ユニーク&クリエイティブで秀逸。
- [付記1]スウィシュ・パターン 開発のプロセスから詳述。
- [付記2]メタモデル 明確さへの手法と誤解されているメタモデルが本当にめざしていること詳述。
- [付記3]クリスティーナ・ホール博士のバイオグラフィ NLP黎明期から開発者と共にいたクリスの歴史はNLPの歴史とほぼ同義語。
NLPの類書のなかでの、この本のユニークな位置づけ
◆NLPの言葉の使い方に関する、役に立つ新しい定義
本書では、NLP用語の定義自体も一般的に言われるものと違うものもあります。たとえば「バックトラック」は、一般的には「おうむ返し」ですが、ここでは時間逆行の意味で使ったりします。メタモデルも著者は、言葉の変形のプロセスは同じところがありますが、スキルとして「なんのために使うか」の部分はまったく別の視点で見ています。こうした新しい定義付けは、すべて、相手の可能性を開く、という視線で再定義されています。
◆立体的で連続的なスキルの統合
今までバラバラに語られることの多かった、ひとつひとつのスキル(著者は、それをスキルとさえ認識していないが)が本書のなかでは、すべてがひとつのケースのなかで、時系列にどう組合わせされ、どういう力学が働くかを立体的、統合的に語られる。
◆NLPは、相手の可能性を引き出すために使われる
質問の作り方は、繰り返し、さまざまな方向から本書のなかで語られるが、それらすべての質問、相手との関わりは「相手の可能性をどう引き出せるのか」という一点にしぼられて語られている。このことのユニークさは、ある意味で今までNLPがある誤解のなかにいたことの証でもあるのかもしれない。
<まえがき>by 喜多見龍一
「内的世界」と「外的世界」の関係性を追求したNLPは、著者が語るように、そのメディアである「言葉」にフォーカスする。
私がはじめて、この本の著者のクリスティーナ・ホール博士のNLPトレーニングを見たときの印象は、「ああ、このひとはアーティストなんだな」というものだった。もちろん、NLPのトレーナーたちを育てるトレーニングの講師として世界基準で考えても、最前線を走っているおひとりであることは間違いないが、その教え方のスタイルがきわめて独特な「場」を形成しており、雰囲気がとてもアーティスティックだったのだ。なんというか、踊るように教えている。本当に踊っていることもあるのだが(きわめて優雅に)、受講生たちは、それがあまりに自然なので、誰も不思議に思わないのもすごい。私たち日本人が、この本の著者クリスティーナ・ホール博士と知り合い、日本で開かれている講座を通して交流できたこと、彼女の念願だった最初の著書が日本でまず出版できたことは、大変貴重で意味深いことだと信じている。
いまでこそNLPは比較的知られるようになったが、私たちが日本に紹介し始めた1 9 9 0年当時は、まだその言葉がなんの略なのかも知られていないような時期だった。そこから時代が進み、その間、「NLPって、なに?」と何度も聞かれてきたが、私自身、今まであまりうまく答えられたことはなかった。「コミュニケーションの道具箱」という答えが比較的まともな答えかと思ってもきたが、違和感もあった(どこか皮相な感じ)。その根本的背骨がどこにあるのか、いまひとつ判然としなかったが、この本を数カ月かけて編集してみて、明確に理解できた。
それは「内的世界」と「外的世界」の関係性を研究し、その関連性のルールを発見していったものだ、と。
私たちヒトは、脳のなかに、外的世界の「似姿」を作ることで認識している。しかしその似姿と外的世界そのものは、当然ながら、同じではない。そのことを、アルフレッド・コージブスキーは、「地図は土地そのものではない」(The Map is not the Territory)と言ったわけだ。この有名な言葉はNLPのなかでは、頻繁に現れる(日本では、そうでもないが)。
著者のクリスティーナ・ホール博士は、Ph.D. の課程の前からアルフレッド・コージブスキーの「一般意味論」(General Semantics) を研究してこられた。一八七九年生まれのコージブスキーの重要な著作「科学と正気」(Science and Sanity)が出たのが一九三三年だから、この頃から言葉に関する本格的な研究はあったことになる。NLP創始者のバンドラーとグリンダーたちが、NLPを開発するときに、この一般意味論の考え方を知らなかったとは考えにくい。一般意味論が言っていることはNLP、特にメタモデルの考え方と深く一致する。一般意味論の専門家でもあるホール博士自身も、一般意味論を研究してきたことがNLPの深い理解にとても役立ったと語っている。
コージブスキーの他にも、一九二八年生まれの言語学者ノーム・チョムスキーや一九〇四年生まれで二重拘束(ダブル・バインド)理論等が名高いグレゴリー・ベイトソンらも、NLPの成立に深く関わっている。特に言語の分野やメタモデルの分野で。NLPの説明でミルトン・エリクソン(催眠)、フリッツ・パールズ(ゲシュタルト)、バージニア・サティア(家族療法)をモデリングした、と説明されることが多いが、この本で語られるNLPは、彼女が「言葉」にフォーカスしていることもあると思うが、こうした一般的説明とは違った姿に見える。私は、「ユニークネスが世界を進展させる」と信じる者だが、著者が本書で語っているNLPは、日本で一般的に教えられているNLPとは、ずいぶんと違っており、「あー、そういうことだったんですか!」とこの本を編集しながら、何度も思い、目からウロコが何枚も落ちた。NLPのほとんどの説明は、日本でも英語圏でもそんなにそこは変わらないが、だいたいがテクニックの説明に終始する。しかし彼女のNLPは、すべてが立体的に一連の流れとなって、全体が「統合」されているのだ。これはここだけ読んでも意味が分からないだろうが、この本をお読みになれば、あーこういうことね、とお分かりいただけるはずだ。
コージブスキーやチョムスキーやベイトソンなどの活躍した第二次大戦前の一九〇〇年代の前半に、現在のNLPの基本認識となる「言葉の研究」がこれほど深められていたことに驚きを禁じ得ないが、NLPの成立には、こうしたひとつ前の時代の偉人たちの研究が土台になっていることもこの本を通じて知った。
著者クリスティーナ・ホール博士は、NLP黎明期の七〇年代八〇年代から、創始者リチャード・バンドラー、ジョン・グリンダーらと共に歩み、講座を教え、テキストをつくり、技法を開発していた。当初から存在するNLP協会(The Society of NLP) の現オーナーでありプレジデントでもある。
この本をお読みになる前に、いくつか分かっておいていただきたいことがある。NLPの根本概念、外的世界(現実)を内的世界(意識/脳)に置き換えるときに、どういうことがそこに起きているか、またはその逆に、内的世界に格納された似姿を通して外的世界を見たときに、そこにどういうことが起きるか、ということを研究し、実践的に使えるようにしているのがNLPだ。まずここを理解したい。NLPには、その基本的な概念をあらわすために創始者たちがいろいろと固有名詞を当てはめているが、それが言語学や学術的な用語から、難解な専門用語を引いてきている例が多い。それに食あたりしてはもったいない。そこでめげてはならじ。たとえば、日本では「代表システム」などと「代表」と訳されることが多い「representation」だが、これは哲学などでいうところの、「表象」(ひょうしょう)のこと。表象の方が代表よりもっと分かりにくい、と言われる可能性もあるが、このrepresent が表す根本概念は、日本語としてはまさに「表象」なのだ。つまり、外的世界を内的世界の似姿として認識し、脳に収納するその「似姿」が、表象である。だから「代表」でもあるわけだ。英語の授業ではないが、re - presentだから、「再び」「提示」されたもの、脳内の認知がrepresentationであり、表象である。NLPは元が英語であり、まだ十分に日本語にローカライズされていない。本書では「表象」と訳することとする。NLPで一般に代表システムという場合、VAKOG(Visual/Auditory/Kinesthetic/Olfactory/Gustatory 五感)のどの感覚が優勢で認知しているか、という意味で「代表システム」という言葉を使っているようだ。しかし根本概念は、表象が一番ぴったりくる。この本の中で「表象」と言われたら、外の世界に似せて作った内的似姿のこと、と思ってほしい。このrepresentationは、NLPを理解するのにきわめて重要な単語である。
また、もうひとつの重要な概念を表す言葉が「メタモデル」であるが、巻末の付記2で詳しく著者に聞いているので、ここでは簡単に。「メタ」という言葉は、入れ子状の多層構造を言う。メタ言語など、コンピュータ用語としても多用されるが、それは認知科学がコンピュータ科学やロボット工学の世界ともつながっているからだ。つまり、私たちを取り巻く「世界」を記述しようとしている。NLPもまさに世界の構造、あり方を記述しようとしているのだ。言葉が認知のプロセスで変形していき、多層な歪みのプロセスを生じる、この入れ子状の変形プロセス構造全体が言語のメタモデルである。
さらにもうひとつ、本書を読む前に知っておいてほしい概念が、「プライマリー・エクスペリエンス」(または単純に、プライマリー)と「セカンダリー・エクスペリエンス」(または単にセカンダリー)、つまり「一次的体験」と「二次的体験」という言葉の定義。これは、外的世界の現象そのもの(コージブスキーの言う土地そのもの)を私たちが神経を使って認知するとき、つまり私たちの感覚要素が最初に、「言葉以前に」感知した、まだ言語化されていないなにかの感覚、それが一次的体験、プライマリーの定義である。そしてそれを、たとえば言語化して脳に収納するときの認知、それは「言語的な認知」になるが、それが二次的体験、セカンダリー(コージブスキーの言う地図)だ。外的世界のイベント(土地)は「事実」であるわけだが、二次的体験、つまり脳の中に格納された「表象」representation(地図)は、認知のプロセスで変形を受けている、という考え方。本書の185ページの、言葉による変形こそが、言葉のメタモデルそのものだ。
私たちは表面の意識では、このすでに変形してしまった言葉を通して、現実を「認知」している。たとえば「私の人生は問題だらけです」と言ってきたクライアントのことを考えると、そこに認知の変形が認められる。ではそのひとが「問題」と認知したときにさかのぼり、なるべく「事実」に近いところに迫りたい。そこで変形(セカンダリー)から、より事実に近いところ(プライマリー)にさかのぼって行くわけだが、その一次的体験は言語化されていないので、言葉で語るのはむずかしい。それはたぶんに、イメージなどの不定形な世界であるから。しかし、逆にいえば、それはあいまいなイメージであることから、「認知の基となっているイメージを換えることで、その後の認知も換え得る」(付記1のスウィッシュ・パターン)のだ。こうした一連の「ヒトの認知」の探求、「言葉を通した世界認知」がホール博士が本書で語っている領域そのものである。
私は最初にこう思った。ははー、言葉は認知の途中で変形する。それが「いけない」のだな、と。しかし、ここがクリスティーナさんの素晴らしいところだが(世間話をしているときでもこの姿勢は一貫)、彼女の世界認識は「なにかが悪くて、なにかが良い」という構造になっていない。彼女との会話の中には「But....」や「No....は、だいたい「a n d . . .」であって、前後の関係(コンテクスト。言葉の位置」が、まず出てこない。センテンスを継ぐときづけ)から、ニュアンスは分かりはするが、言葉で白黒をつけることをまったく自然に、していない。つまり博士が信じている世界は、「あるときは、それがよく働き、あるときは、それが悪く働く」相対的世界観なのだろうと推測される。メタモデルの言葉の変形でさえ、「変形が悪い」と思っていらっしゃるわけではない。場合によっては、わざとあいまいにすることで相手の可能性が拓けるのならいいではないか、という柔軟な発想が、そこにある。
博士は、いうまでもなく、言葉の専門家である。私も言葉の仕事をしてきたが、言葉づかいはいい加減で、白黒をつけまくるので、クリスティーナさんと話していると、反省させられる。つまり、彼女は、単なる「学者」ではない。彼女は、自分が教えていることを実際に、日々生きていらっしゃる。それが実に素晴らしい。若いとき、アメリカでセラピストをなさっていた頃も、さぞかし有能なセラピストであったろうと想像できる。目線にやさしさを感じるし、アーティスティックなところも感じる。高齢だが存命中かと思われるチョムスキー(NLPに強い影響を及ぼした言語学者)がイラク戦争にアンチを唱えたことも好ましく思えるが、クリスティーナさんのなかにも同じような目線が感じられる。
しかし、この本の「はじめに」で、私がこうして、この本の理解を助けるためと、言葉を長々と弄して語っていることが、果たして彼女の元々の意図に沿うものかどうか、ちょっと疑問な部分もある。なぜならば、彼女は独特の構造(ネスト構造または、メタ構造)で、トレーニングをおこない、これは編集の最後の方で思ったことだが、たぶん、この本もまた、ネスト構造で作ろうと意図されたのではないか、と思ったからだ。ネストはnestで、巣の意味もあるが、マトリョーシカ人形のような「入れ子」構造のこと。メタと同じだ。彼女のトレーナーズ・トレーニングの第一回を日本ではじめて受講された方たちのなかには、十二日間にわたって、いろいろなことを「体験的に」学ぶわけだが、たとえば最初に新しい概念が出てきたときには、彼女はあまり説明を(意図的に)しない。しかし、この講座は完全に構造化されており、その概念は、この部分とこの部分で体験され、講座の最後で「あー、そうだったのか」と分かるような仕組みになっている。逆に言うと、ワークショップの進行中は、ちょっと分からなくてイライラすることもあったりする。しかし、彼女が意図的にやっているこの構造は、「ヒトが学ぶとはなにか」「どういうときにヒトは学ぶのか」の力学を深く理解して行われている。
この本の収録は、二〇〇六年八月に行われた。初版は二〇〇八年七月だから、その間、私はなにをしていたか。二年かけて編集しました、といえば格好はいいが、そうではない。実は一年半の間、この収録内容のあまりのハイブロウさに怖れおののいていたのだ。この本の編集を始めたら、どういうことになるのか、私自身が一番よく認識していたから。容易に想像し得るその、有無を言わさぬ、こてんぱんな仕事量に、始める前から打ちのめされていて、しばらく手をつけられなかった。収録をご存知の皆さまからは、「ああ、あの本はもう出ないのね」と思われていたことも耳に届き、募る罪悪感……。実質、最後の六カ月で編集したことになる。
その六カ月間は、なんというか、まるでニューヨークで難事件を解決しなければならない日本人の探偵のようだったかもしれない。ひとつずつ調べ上げ、「英辞郎」を引きまくり、英文サイトをグーグルしまくって、相手を追い詰めていった。ほとんど日本語のサイトは、この本の助けにはならず、英語サイトの方が役立った。しかし英語のNLPサイトでもなお、ホール博士のおっしゃる概念が説明されているサイトはほとんどない。つまり彼女のNLPは、オリジナルな側面が大変大きいのだ。
実は私は、インタビュー当日三日間、特に後半だが、博士がお話しになったことの数十パーセントしか理解できなかった。読者にはまったく意味不明なことかもしれないが、質問者自身がよく理解できなかった……(恥)。もちろん通訳の大空夢湧子さんは、同時通訳もできるプロ中のプロであるが、言語学関連のコンセプチュアルな話題と専門用語の嵐で、通訳しにくかったはずだ。しかし、私がここでウダウダ言う前に、皆さんがこの本を読み終わったときに、「この本のどこがむずかしいんだ、一体?」と思っていただけたら、それは編集がうまくいった証拠です。毎週末の編集の間中、著者クリスティーナさんのお考えが少しずつ私の頭のなかに流れ込んでくるのを感じることができた。こうやって人は、他の人が発見して体系化した考え方を学ぶのであろうと感じられた。
世界的にも貴重なクリスティーナ・ホール博士の「言葉のワークショップ」は、欧州などだけで行われており、日本では行われてこなかった(その前に彼女から学ぶべきことがたくさんあった)が、この本が出るタイミングで開催が決まり、日本でもその全貌が体験できることになった(全1 2日間予定)。これほど喜ばしいことはない。この本がひとつの重要なテキストになるだろう。また、この本がオリジナルの英語に訳し戻されて、世界の人々に届けられる機会があれば、さらに喜ばしいことだと思う。
私のような、分からんちんの本づくりを、辛抱強く見守ってくださったクリスティーナさんに心から感謝したい。また、この本の製作にご協力をたまわった通訳の大空夢湧子さん(最後まで追加資料の翻訳などにご尽力いただいた)、粗編集の細見さん(テープ起こししたものをまとめるだけでも一大事業)、皆さまのご協力のたまものが、いま出版されました。世界への貢献ともいえるこの本が世に出たことで、皆さまのご苦労が少し報われたかもしれません。深く感謝したいと思います。
二〇〇八年七月
喜多見龍一