(中略)
ジュリアン・ジェインズは、著書「神々の沈黙─意識の誕生と文明の興亡」(紀伊國屋書店刊)の中で、「言語はコミュニケーションの手段であるのみならず、認知器官でもある」と述べています。
その頃の私は、その意味を本当には理解していませんでしたが、それでも興味をそそられました。
このアイデアは、私の言語へのアプローチに多大な影響を与えました。そこで、本書のタイトルは「言葉を変えると、人生が変わる─NLPの言葉の使い方」とさせていただきました。
言葉のない世界を想像してみてください。本もなく、世代から世代に伝えられる知識もなく、ワークショップもなければ、物語を話すこともない、とないものだらけです。
私たちが知っているような生活の仕方は、あり得ないでしょう。
私たちが、見、聞き、感じ、触れ、味わい、匂いを嗅いでいることには、言語によって意味が与えられているのです。
言語が「認知」を形成し、「意識」を発達させ、「考え」をまとめさせ、「体」に影響を及ぼし、「行動」を指示し……私たちの「現実」を形作っています。
従って、「言語」と「思考」と「現実」は分かちがたく絡み合い、どれかひとつだけを切り離すことができません。
言語は、内面的にも外面的にも、私たちの生活の、文字通りすべての側面を形作っています。
つまり、言語は、人生に最も強力に影響を及ぼすもののひとつなのです。
魚が水の中に棲むように、私たちは言葉の中に生きています。言葉を覚えたのも、無意識的に周囲の人々をモデリングすることによってでした。
文法を意識するわけでもなければ、意識して構文を作るわけでもありません。実際は、ほとんどの場合に、口を開ければ自然に言葉が出てくるようです。
たいてい、人は自分が使う表現を当たり前のように思っています。
言葉は私たちの存在の根幹に関わるので、言語と思考と現実の間の相互作用(つながり)を無視したり、軽視したり、十分に活用しないと、コミュニケーションの質が低下し、結果として、人生の質をも損なうことになるでしょう。
何語を話していても、すべての言語に共通する普遍的なものがあります。基本的な原則は、私たちはお互いに、影響を与えざるを得ないし、影響を受けざるを得ない、ということです。
従って、私たちが影響を及ぼすのか、及ぼさないかの問題ではなく、「あなたはどのように影響を及ぼしたいのか」という問題だということになります。
言葉によって、私たちは話し、書き、読み、聞くことができます。考えることや感情表現ができます。分析し、問題を解決します。法律を制定します。
理解しあい、交渉し、同意し、妥結や妥協に至ります。知識を築きあげ、理解と知識を伝えます。
言語を使って、私たちは想像したり、夢を見たり、創造したり、革新したりすることができます。つながりや愛を育てることもできます。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは言いました。
「言語の限界が私の世界の限界である」と。
言葉はまた、「両刃の剣」にもなり得ます。同じく言葉によって、人は欺き、誤解させ、否定し、抑圧し、禁止し、制限し、威嚇し、中傷し、偏見を持続させ、怖れや不安、後悔、罪悪感、疑い、憎しみを作り出します。
人が望んでいない効果や結果を作り出してしまうことがよくあるのは、言葉が聞き手の考え方を形作っていることを理解していないからだと思います。
ここで興味深い質問が出てきます。人はどのように言葉を使うか。
そして、人はどのように言葉に使われているのか。
その違いを生み出すものはなんなのか? ということです。
言語が深層のレベルでどのように機能するかを学ぶと、多くの利点があります。他の人とだけでなく、自分自身とのコミュニケーションが前よりもうまくいくようになります。
自分の外の世界だけでなく内面的世界でも、起きたこと、(そして起きていないこと)について、より適切な対応をすることができます。
好奇心が高まり、広い心で、人生が与えてくれるいろいろな物の見方を承認することができます。
現実的な予測をたてられるようになり、想定外のことで驚かされることが少なくなり、あなたの生活、人間関係、自分自身を営んでいく時に、「予測可能性」が高まります。
私が特に関心をもっているのは、変化し続ける環境に適応し、個人として実際の人生に積極的に関わり、生き抜き、繁栄する能力に、言語がどのように影響を及ぼしているかという視点からの探求です。
とりわけ私が興味をもっているのは、本人は可能性がないと思っているところに可能性が広がっていくような言葉の使い方を教えることです。
まさしくこれは、「認知」の問題であり、「信念」の問題なのです。なにかが可能だと信じている時の方が、その人はさらに探って、見つけ出そうとしやすくなります。
なぜならば、答えは既に感覚的経験の中にあるからなのです。こうしたことをはじめて聞く方にとっては、挑発的な言い方ですが。
私が言語に関して発見したこと、教えていることは、もとより正式な調査にもとづいたものではありません。
むしろ、三十年間、何千人もの人たちに教えてきて、彼らに質問をし、彼らの精神のプロセスになにが起きたのかに関する情報を収集した結果です。
この方法は目覚ましい結果を生み出し、言語が情報収集のための手段であり、言語によって注意力が集中し、思考と行動の方向性が設定されるということについて、より多くを学ぶことができました。
(中略)
さあ、素晴らしい言葉の世界を、より深いレベルで、新しくちょっと違うやり方で探求する冒険の旅に船出しましょう。この旅をお楽しみください。本当に、最も驚くべき旅になりますから。