ナスカの地上絵を守る戦士

ディニアゴ族の神具「ナチュパニ」

※支払い方法「銀行振込」「PayPal支払い」のみ
※お届けまで2ヵ月程度
※1.名前(漢字およびローマ字) 2.生年月日(西暦) 
 を『連絡事項欄』に記入してください。


ディニアゴ族の神具「ナチュパニ」

22,000円 (税込/本体価格 20,000円) 品切れ

アンデス地域に住む先住民「アイマラ」。
その中でもペルーに住む「ディニアゴ」族には、
ナスカの地上絵を護るという使命がある。

ディニアゴ族では、ナスカの地上絵は宇宙からのエネルギーを
世界で一番多く受け取れる場所と言い伝えられており、
特にサルの絵は当時のディニアゴ族の中で地上絵を描いた
“神の象徴”として崇められている。

ナスカの地上絵:渦巻の尻尾をもつ「サル」

サルの地上絵にも描かれる“渦模様”は、
この世の理・永遠の生命・魂・未来など、
この世に存在するエネルギーそのものを表している。

そんな“神の象徴”の渦模様が表現された「ナチュパニ」。
その力は宇宙のエネルギーを受け取ることができ、
自身の潜在的能力を格段に引き上げる。

ナスカの地上絵:「サークル」

モライ遺跡

はじめに

私の名前はシノ・ナカムラと申します。
「ゲオメトリア」の記事を執筆した阿須智亮と古くからの友人で、世界のシャーマンを専門に追うフリーライターです。

渡航先のペルー南部で、「カマンパラ」という言葉を覚えた。
日本語に訳すと「力をこの手に」という意味らしい。
その言葉をぼくに伝えた老人は、ひどく曖昧な相貌だった。
記憶が不明瞭という意味ではなく、文字通り容姿が一定しない。

薄い煙が漂うテントの中で出会った彼は、天寿を全うする直前のような弱々しい顔立ちだった。
しかし白い靄が渦を巻いたかと思うと、次の瞬間には思慮深い面差しの賢者となっている。
また少し経つと、今度は薄い笑みを浮かべる飄々とした老爺に変わっていた。

全員、同一人物なのは間違いない。
ただ、まるで一人の人間が違う時間の自分をいくつも内包しているかのような、不思議な雰囲気を纏った老人だった。
もちろん煙が見せた幻という説も捨てきれないが、ぼくは自分の目を信じている。

その老人と対面したのは、ペルー南部のクスコという地域だった。
南米のペルー共和国は熱帯に属しており、さほど気温に変化がなく、日本のような四季も存在しない。
ぼくが渡航したのは2023年8月、南半球は冬真っ盛り。
それでも湿気の煩わしさを除けば十分に過ごしやすく、温暖な気候だった。

記者という仕事柄、海外旅行には慣れている。古都クスコを訪れたのは取材半分、プライベート半分といったところだ。都市部は標高3,000メートルの地点に位置し、いまも古い建築物が多く残っている。観光で訪れるなら、高山病の対策も怠ってはいけない。

以前から南米の文化には興味があり、ペルーには何度も足を運んでいた。
インカ帝国の隆盛から植民地化と独立を繰り返してきた彼の地には、いまも様々な国の影響が色濃く残されている。
今回の渡航も、そんな歴史の一端を取材するのが目的だった。

ディニアゴ族の不思議な力

ペルー・クスコ

『ディニアゴ』という部族がいる。
アンデス山脈に根付く先住民『アイマラ』の流れを汲み、ナスカの地上絵を守る使命を帯びた一族らしい。

今回の取材は、現地コーディネーターのアベルに協力を依頼した。
ぼくが30歳の頃に出会った男なので、かれこれ10年来の付き合いになる。
とにかく陽気で、気の置けない友人だ。
クスコの中心地プラザ・デ・アルマスの広場で再会した彼は、「やあ、シノ!」と人懐っこい笑顔でぼくを迎えてくれた。
アベルこそ、まさに日本人が想像する明るいペルー人の代表格と言えるだろう。

コーディネーターのアベル

取材を翌日に控えた夕食の席で、アベルはディニアゴ族の興味深い逸話を教えてくれた。
なんと「最初にナスカの地上絵を見つけたのは、ディニアゴ族なんだ」という。

しかしぼくが「いやいや、それはWikipediaに書いてある情報とは違う」と冗談まじりに反論すると、アベルは「学説の公開と歴史の発見は違う」と首を振った。
最初はジョークかと思ったが、彼の真剣な眼差しを見るかぎり、どうやらからかわれているわけではないらしい。
ぼくは郷土料理のアルカパ肉を頬張りながら、アベルが語るディニアゴ族の話に耳を傾けた。

伝承によると、彼らには不思議な力を宿す者がいるらしい。

 曰く、病気を治癒する者。
 曰く、死の淵から甦る者。
 曰く、心の内を読み取る者。

ぼくは好奇心旺盛だし、異文化にも理解がある。
ただ、それはあくまで寛容と博愛、そして知的欲求と冒険心の賜物だ。つまり盲目ではなく、簡単にオカルトは信じない。

地ビールも進み、「明日はいよいよディニアゴ族と対面だ」という話になったとき、それまで陽気だったアベルが、急に神妙な顔つきになった。

「なあ、シノ。明日、本当にディニアゴ族に会うのか?」

その脅かすような言葉の真意を尋ねると、彼は首を振った。

「いや……ただ、お前の人生が変わるかもしれないぞ」

その思わせぶりな台詞の意味を明かすことなく、アベルは酔い潰れた。
動けなくなった彼を迎えにきたのは、アベルの一人娘だ。
世間話のついでにディニアゴ族について尋ねると、彼女は奇妙な話を教えてくれた。

「私が高校の頃、友だちと山登りをしたの。予報では1日、晴れだった。
でも途中から天気が崩れて、もう大変。周りは霧に包まれて、生きた心地がしなかった。
だから祈ったの。そうしたら胸元のペンダントから光の玉が飛び出して、私たちを近くの洞窟まで導いてくれた。
少し怖かったけど、あの光を信じてよかったと思う。
霧が晴れたあと、私たちが立ち往生していた場所に、大きな木が倒れていたの。ずっと留まっていたら、きっとお父さんを悲しませていたわ」

いまの話がディニアゴ族と、どう関係するのか?

その問いには答えず、アベル親子は夜の闇に消えていった。

神具「ナチュパニ」を授かる

ペルーの冬は、曇り空が続く。
ただ翌日は、古代インカで信仰されていた太陽神の加護に恵まれた。
湿気が多いせいか、日差しがあると余計に汗ばむし、喉も渇く。
おかげでディニアゴ族の村まで車で向かう途中、何度もトイレ休憩を申し出るはめになった。
アベルのニヤついた顔と「どうしたシノ、もう年か?」という台詞が、帰国した現在も忘れられない。

ディニアゴ族の村に到着したぼくは、アベルの案内で村の取材を始めた。
文明圏から離れて暮らす民族と聞けば、多くの人は排他的なイメージを抱くかもしれない。
しかしディニアゴ族は大都市クスコの周辺地域に居を構えているせいか、観光客にも慣れていた。
フレンドリーとまではいかないが、アベルの話術も相まって、さほど苦労はなかったように思える。

取材内容は普段の生活様式から悩み、世間話、神話や信仰、文明社会との付き合いまで多岐に渡り、老若男女関係なく、可能なかぎり多くの人に話を聞いた。
たいしたトラブルもなく、聞き取りは順調に続いたが、二つだけわからないことがある。

一つ、彼らの多くは不思議な装飾品を身につけていた。
細かい意匠は個々で異なるが、どれも渦をモチーフにしており、紐の輪が通されている。
首から下げている者もいれば、手首に巻いている者、ストラップのように身につけている者もいた。

ぼくが「それはなに?」と聞くと、彼らは「ナチュパニ」と答える。
さらに「ナチュパニには、どんな意味があるの?」と尋ねると、彼らは装飾品を手のひらで包み「カマンパラ」と唱え、それきり祈るようになにも答えない。
おそらく渦模様のアクセサリーが、ナチュパニという名称なのだろう。

二つ、ではカマンパラとはなにか?

アベルに確認しても、彼は首を振るばかりで明確な答えを返そうとしない。

そこで僕はハッと目を見開いた。アベルの手首にも、同じ渦模様の装飾品が巻きついている。
なにかの宗教的なシンボルなのか、あるいはペルーで流行っているアクセサリーなのだろうか。
そんな疑問に頭を悩ませていたぼくは、やがて一つの大きなテントの前に辿り着いた。
アベルが案内したのか、たまたま通りかかったのか、その経緯はよく覚えていない。

ただ入り口に佇んでいた少女に「ナチュパニ、いる?」と聞かれたので、単純に土産物屋だとでも思ったのだろう。
気がつくとぼくはテントの布をめくり、内部へ足を踏み入れていた。

中には白い煙が漂っている。最初は煙草かと思ったが、無味無臭だ。テントの中には、またテントがあり、ぐるりと回りながら次の入り口を探す仕様らしい。
複数の布が切り張りされており、見た目は色鮮やかな反面、まるで異世界に迷い込んだような気分になる。
アベルがいてくれなければ、途中で情けなく逃げ出していたかもしれない。

そうして何度か布をめくり、やがてテントの中心地に辿り着いた。
そこに、一人の老爺が座り込んでいる。
左右には香が焚かれており、ようやくほのかな花の香りがした。
彼の前には、いくつものナチュパニが並んでいる。
背後のアベルが「座って」と、ぼくを促した。

そこで、ふと異変に気がつく。

目の前にいる老人の顔が、少しだけ若返ったような気がした。
「そんなはずはない」と思いながらしばたたくと、今度は目に見えて皺や染みが濃くなっている。
「きっと煙のせいだ」と自分に言い聞かせながら、ぼくは老人の話に耳を傾けた。

ナチュパニとは、神の道具――すなわち神具であるという。

ディニアゴ族は祖先代々、ナスカの地上絵を守る戦士だった。
大地に刻まれた巨大な絵図は神の創造物であり、そこに宇宙のエネルギーが宿ると信じられてきたらしい。

文中に出てくる実際のテント
こちらからではわからないが、奥に長く続いている。

神秘の呪文「カマンパラ」

こんな逸話がある。

はるかむかし、ディニアゴ族の頭首だった男は、ナスカの地上絵を侵略者の手から守り抜いた。
すると大地に描かれた猿の尾が光を帯び、天の彼方から神託が下りたという。

神は「力を託す」「護りなさい」と告げた。

やがて不思議な気配が去ったあと、頭首の足元には渦巻き模様の石が落ちていたという。
その鉱物を手にして以来、彼は天候を自由自在に操れるようになった。
旱魃(かんばつ)に喘ぐ村に雨を呼び、ディニアゴ族に安寧と調和をもたらしたと伝わっている。

この伝承は、なぜだか妙にぼくの胸を打った。
逸話そのものよりも、目の前にいる老人の話ぶりが心を揺さぶったのかもしれない。
白煙が過ぎるたびに若返りと老いを繰り返す男の口調は郷愁に満ちていた。
はるかむかしの話を、まるで自分の目で見てきたかのようにありありと語る。
その情緒溢れる佇まいに、僕はすっかり魅了された。

やがて老爺は、布の上に並べられたナチュパニから一つを取ると、それを両手で包み込んだ。
そして唱える。

「カマンパラ」

ここで、ようやくぼくは「カマンパラ」の意味を知った。
老人によれば、それは「力をこの手に」という意味らしい。
渦巻き模様に秘められた恩恵を引き出し、神秘の力を得る呪文だという。

すると老人は手のひらを開き、ナチュパニをぼくに差し出した。
言葉はなかったが、「信じるか?」と問われているような気がする。

ぼくは迷わずナチュパニを受け取った。
そして手のひらで包み込み、「カマンパラ」と唱える。
発音がぎこちなかったせいか、老人とアベルが顔を見合わせながら笑っていた。
やがて急に白煙が濃くなる。
ぼくとアベルは咽(む)せながらテントをあとにした。

外に出ると、入り口に佇んでいた少女が消えている。
「お礼を言いたかった」と口にすると、アベルは「そんな娘いた?」と怪訝そうに顔をしかめた。
きっと、彼の見落としだろう。

それからアベルは、ナチュパニとの出会いを教えてくれた。
彼は20歳の頃、持病で片脚が麻痺していたという。
それでも生活のためにコーディネーターを続けていたアベルは、やがてディニアゴ族と交流を深め、ナチュパニの存在を知ったそうだ。
彼も、最初は半信半疑だったらしい。
しかしナチュパニを手にした翌日から、麻痺していた脚に痛みを感じるようになり、1週間もすると通常の感覚が戻ったのだという。

その話を聞いたぼくは、思わず眉をひそめた。

なぜ、その話を黙っていたのか?

不審がるぼくに、彼は肩をすくめた。

「軽々しく他人にしゃべる内容じゃないと思った。俺は病気も治ったが、これは誰にでも平等に訪れる奇跡じゃない。信じる者だけが、神の恩恵に与れる」

ぼくは心の中で「じゃあ、どうしてぼくに話してくれたんだろう?」と思った。
するとアベルは見透かしたように「お前は信じた」と笑ったが、これは超能力の類ではないと思う。
むかしから、ぼくは考えが表情に出やすいらしい。

それから残された時間を使い、ぼくはナチュパニの話を聞いてまわった。
遠く離れた人間に意思を伝えられる力、手を触れずに物を浮かせる力、天変地異を予知する力、様々ある。
又聞きも多かったが、中には「自分も能力者だ」と名乗る者もいた。

中でも驚いたのは、ある女性の話だ。

彼女には、片想いの幼馴染がいた。
ある日、その彼が崩落事故に巻き込まれたという。
救助隊は懸命の捜索を行ったが、事件から三日が経過しても彼は見つからない。
生存は絶望的だと思われたが、それでも彼女は相手の無事を信じ、ナチュパニに祈りを捧げ続けた。
するとナチュパニが不思議な光を発した翌日、幼馴染の男性は奇跡の生還を果たしたという。

後日、彼は「生き埋めになっているあいだ、僕のナチュパニから幼馴染の声がした。絶対に助かる、大丈夫だよっていう励ましの声だ。だからがんばれた」と言ったそうだ。

このような出来事は一度だけでなく、二人のあいだで何度も起きているらしい。
どちらかに危険が及ぶときには、ナチュパニが教えてくれる。
会いたいと願えば、それがいつであっても道端でばったり遭遇する。

やがて二人は互いを強く意識するようになり、とうとう結婚したそうだ。
まさにナチュパニがつないだ絆と言えるだろう。
こうした縁結びの話は他にもあり、幸運の証というばかりでなく、恋愛成就のアイテムとしても知られているようだ。

また力を持つ者、持たざる者、その全員に共通していることが一つだけある。
ナチュパニの所有者は誰一人、力を特別視しない。
あるがままに、神の恩恵を受け入れていた。

もう一つ、サプライズがある。

帰国の日、首都リマの空港にアベル親子が見送りにきてくれた。
アベルの娘とは、クスコの夜以来の再会になる。
そこで、ふと気がついた。
アベルが酔い潰れた日、彼女が話してくれた高校時代の思い出は、もしかしたらナチュパニの奇跡だったのではないだろうか?

するとアベルの娘は微笑み、胸元から一つのペンダントを取り出した。
そこには、ぼくの手首に巻かれているのと同じ渦巻き模様が刻まれている。
彼女は奇跡の証を手のひらで包むと、穏やかに微笑んだ。

「カマンパラ」

こうして、ぼくの旅は終わった。
いまでも時折、ナチュパニに願いをかける。
長い歴史と共に紡がれた意思と想いが、奇跡を起こす瞬間を夢見て。

END

ディニアゴ族の力の象徴

カタルパーム・ユイマの入り口

カタルパーム・ユイマの奥にある渦巻模様

ディニアゴ族の住んでいた場所には小さな祠(カタルパーム・ユイマ)があり、そこには当時のナチュパニの大元となっていた岩壁がある。

昔のナチュパニは右の写真に映る岩壁を削った石からできていたとされ、作る中でこの渦巻模様を作っていったのだという。

今ではサルの絵に並び、この祠と模様はディニアゴ族の中では“力の象徴”とされている。

ナチュパニの恩恵

ナチュパニのトップ部分の渦模様は、所持者の中に宇宙エネルギーを取り込み、所有者の潜在的特殊能力を覚醒させます。

  • スピリチュアルな能力の目覚め、更なる進化と促進
  • エネルギーの循環、調整、そのコントロールが可能になる
  • 魂の浄化、不要なパターンからの開放
  • 生きる意味、使命、目的を現実化する

予知能力、ミディアム・パワーなどの超能力、魂に直接触れるような究極的なヒーリング・パワーなど多岐にわたります。

※ナチュパニのトップ部分の形状、模様、色合い、使われる素材は人によって異なります。

エネルギーチャージャー
「メルフィン」

「メルフィン」にはディニアゴ族の中で受け継がれてきた文様「ナリーマ」が施されています。

「ナリーマについて」

ディニアゴ族の中で最も神聖とされている紋様。
上下にある丸い形はそれぞれ太陽(上)と月(下)を表しており、中央の渦巻模様はナチュパニと地上絵を表している。
ディニアゴ族ではナリーマのある場所には宇宙エネルギーが集まると言い伝えられており、「無限」「永遠」といった意味合いを持ち、ナリーマの上にナチュパニを置くことでナチュパニ自体に宇宙エネルギーを蓄えることができるとされている。
「再生」の意味も持つ。
※メルフィンには、シリアルナンバーを入れてお届けします。

【重要】

必ずご確認ください

■ディニアゴ族のシャーマンが、あなたのお名前、生年月日から、世界にたった一つのあなただけのナチュパニを謹製します。そのため、トップ部分の形状、模様、色合い、使われる素材は人によって異なります。
ご注文の際は、必ず下記の情報を『連絡事項欄』お知らせいただきますよう、お願いいたします。

(1)所有される方の名前、フルネーム(漢字およびローマ字)

(2)所有される方の生年月日(生年は西暦)

【ご注文に際して】

◎お届けまでの期間

ひとつひとつ手作りのため、お届けまで2か月程度のお時間がかかります。予めご了承ください。

◎キャンセル不可

製品の特性上(オーダーメイドのため)、キャンセルはお受けできません。

◎お支払い方法最適

「銀行振込」「PayPal支払い」のみとさせていただきます。
ご入金または、PayPal支払い確認後制作を進めます。

※ご注文時に「代引き」のお支払い方法を選択できますが、本品については必ず「銀行振込」または「PayPal支払い」をお選びください。

ナスカの地上絵を守る戦士ディニアゴ族の神具

ナチュパニ

【商品番号】92598-0  ¥22,000(税込)

【セット内容】ナチュパニ×1、エネルギーチャージャー「メルフィン」×1、取扱説明書

【本体サイズ】約58mm×約310mm
【重量】約10g

【主な素材】
ナチュパニ:真鍮または鉄、布素材の糸、天然石、 コットンの紐付き(最長55cm、長さ調節可能)
エネルギーチャージャー「メルフィン」:革

※ナチュパニのトップ部分の形状、模様、色合い、使われる素材は人によって異なります。
※商品画像のアイテムを計測しています。サイズ、重量は目安としてください。

ナチュパニ体験談

●ライターのシノ・ナカムラ より

先日、現地コーディネーターのアベルから連絡が入った。
いつもはメールでのやり取りがメインなだけに電話での連絡には少し驚いた。
いつもは陽気な彼なりの、挨拶代わりのジョークがあるのだが珍しくすぐに本題に入ってきた。

フランスの美術商がナチュパニをある分だけでよいから全て譲って欲しいという話であった。

恐らく、私の繋がりから私がペルー南部に立った事を知り、「恐らくこの地には何か特別なものがある」そう考えたのだろう。

私はこれまでにも本物の宝具を見つけ、それを頒けて頂き、希望者に譲る事で幾人かを経済的に豊かにしてきた。

その経緯を知るいくつかの、或る美術商の団体が時折私の動向をみて道程をなぞって来る事がある。恐らく今回もそのケースであろう。

私は、アベルに、「もしも君が下心を出し、最初の約束を保護にして私のクライアントであるVOICE読者以外の彼等にナチュパニを譲るのであれば今後は関係を見直さなければならない。」という旨をとびきり陽気に伝えた。

するとアベルは、「シノ、いつものジョークじゃないか!」と笑いながら言った。アベルのそれがジョークであったのかどうか、今となっては定かではないがそれはそうとしてもナチュパニを欲しがる者達が多数いるという事実は間違いないだろう。
今回は事なきを得たが次回から先はどうなるか私にも分からない。読者はVOICE専売と言う権益を大いに活かし2度とないチャンスを是非ともナチュパニを手にして欲しい。


●必ず力になるから…を信じて(50代男性)

私は5年前に会社を解雇され家族も離れてしまい1人で無気力な生活を送っていました。
年齢的な問題もあり再就職活動もうまくいかず人生を諦めてしまいそうになっていたところに元職場の上司に街で偶然会うことがありました。
5年前のことを憐れまれると同時に「必ず力になるから」とナチュパニをいただきました。

ナチュパニを部屋の隅に吊るしその日はそのまま眠りにつくと不思議な夢を見たのです。
家の目の前で子供が交通事故に遭う夢でした。
とても目覚めの悪い夢だったので、起きてすぐ外の空気を吸いに出かけたところ驚くことに夢で見た子供が家の目の前でサッカーボールで遊んでいたのです。

嫌な予感がして近くで見守っているとボールが道路に飛び出しそれを追って子供が走り始めました。
この時全身に鳥肌が立ったのを鮮明に覚えています。
咄嗟にその子を捕まえて事なきを得ました。

どうやらその子供は正直にその日のことを親に話したらしく後日その両親が謝礼をしにきました。
人から感謝される感覚を久しぶりに味わいました。
人生に絶望していたはずの私が人を助けることができたんだと恍惚感に包まれました。

この時から何か人の役に立ちたいと思い始めたのと同時に予知夢のような超常的な力を感じるようになりました。これはナチュパニから得られた啓示だとすぐに確信しました。

それ以来私は肌身離さずナチュパニを身につけています。
そしてナチュパニを通してみるビジョンは必ず私を正しい道へ導いてくれます。
今ではその力で困った人の手助けをして細々と生計を立てて生きています。
幸せな人生を手に入れることができました。

●ファナさん(60代女性)

60歳を過ぎてから急激に足腰が弱くなり、立つのもやっとな状態でした。
しかしナチュパニを手にしてからというものの体が徐々に元気になるのが分かってきて、今では毎日1時間の趣味のウォーキングをできるほどになりました。
何よりも健康が大事だとナチュパニに教えてもらったようなものです。
少しでも長く孫の成長を見届けられるように、これからもナチュパニを肌身離さず持ち歩いていこうと思います。

●ディビンさん(20代男性)

父が寝たきりになってから5年が経った頃にナチュパニに出会いました。
気休めになればと思い、父が寝ている部屋に飾った次の日、父の部屋から僕の名前を呼ぶ大きな声が聞こえたのです。
かなり驚き、走って部屋に行くと、なんと寝たきりだった父がベッドの横で立っていました。
その光景が信じられず一瞬夢かとも思いましたが、今では一緒に外食に行けるほどに体が回復しました。
父曰く体が、生まれた頃のように新鮮に感じるとのことでした。



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