【2004年11月号】バスジャック事件に見る「観音」の資質。

2004年 11月号

バスジャック事件に見る
「観音」の資質。


 2000年5月3日午後12時56分佐賀営業所発、福岡天神行き西鉄高速バス。40分前に「佐賀県佐賀市17歳・・・。」というタイトルのスレッドを2ちゃんねるに立てた加害者は、刃渡り40センチの牛刀をもって、乗客にていねいな言葉で乗っ取りを宣言。この事件を調べてみると、実に二重三重に、運命の糸がからんでいる。偶然とはいえないような偶然が幾層にも塗り重ねられていることがわかる。(この事件の当事者全員に合掌して筆を進めます。南無森羅万象)
このバスに乗り合わせ、顔や手に深いキズを負われた洋裁学校主宰の50代の主婦、山口由美子さん(ご本人は事件後、さまざまなメディアに実名でお出になっています)と、この事件後に「お母さんわが子の成長が見えますか―――私の手づくり幼児教育論」という書籍が出版されることになる塚本達子先生68歳(この事件唯一の死亡者)。山口さんは塚本さんと連れ立って天神に大阪フィルを聴きに行くところだったが、そもそも山口さんが塚本先生を知ることになったのは、山口さんの長女が幼稚園だった20年近く前。かつて「不登校」も経験したわが子の子育てを学ぶため、佐賀市で独自のすばらしい幼児教育をしていた塚本さんと深い親交を結ぶ。つまり亡くなった塚本先生は、落ちこぼれようとしている子供たちの自力を信じつつ、自己の確立をサポートする強力な助っ人だった。そして加害者は、親の期待もあり、中学から進学コースに乗ろうとしていたが挫折。精神的にも傷を負い、高校で「不登校」となっていた。その子が、あろうことか、みずからの命をかけて子供たちを助けようとしたその先生を手にかけてしまう。
山口さん自身も出血多量で亡くなっていてもおかしくない深手を負っている。しかし、そこから生還したのも奇跡であるが、真の奇跡は、加害者から切りつけられたときの山口さんの反応である。彼女は「まっさきに、じぶんの不登校だった娘と加害者がダブって見えた。そしてこの子(加害者)を殺人者にしてはならない!!」と思ったというのだ。なんという反応。いったいだれが、そんなふうに思えるというのだ・・・。自分はいま死のうかというのに。そして実際に彼女は薄れていく意識のなかで自分の傷口のある方の腕を上にあげ出血を緩和。からくも生き延びた。
もちろん、加害者はこの女性が立っている場所など知るよしもない。もうひとつ加害者が知らないことがあった。それはそのバスが出発する直前に同じバス乗り場に、そのバスに乗ろうとして、あろうことか、自分の父親と妹がたった数分遅れで向かっていたことだ。なんたる人生の無残!
恐怖が支配するそのバスから生還した山口さんは、強いPTSDであったと想像されるが、いまは、佐賀市で不登校のための「ハッピー・ビバーク」を開設、子育てに悩む親の会NPO 「ほっとケーキ」の代表も務める。加害者に厳罰を望む意見に、いまも断固として加害者を擁護している!
私が落涙したのは、この観音のような、山口さんの立っている場所と、もうひとつ、加害者が宝物として持っていたという、精神科に入院中に父親と行ったドライブの高速券だった。彼は高速道路をクルマで走るのが好きだった。父親の運転するクルマでドライブするのが好きだったのだ。なんということだ! これほどにすべての子は親に愛されたい、いやまわりのだれでもいい、だれかに愛されたい。しかしこれは、ちょっと痛すぎる・・・。
山口さんが、通常いくらセラピーを受けようが、2〜3年で決して癒えないくらいの強力なPTSDを、紆余曲折はあったにせよ抜けられ、まさに驚天動地であるが、生々しい血糊の再現フィルムの解説を客観的にするというのは、これはセラピーの次元をはるかに超えている。より「上位概念」が働いているとしか私には思えない。つまり、彼女は深い心の傷にフォーカスするよりも、起きたことの見えない糸を結び、新たな目的地を見て、「奉仕」に向かった。それがここまでの回復を可能にしたとように思う。目的をもった奉仕は、セラピーを超える。人間はここまでビジョンを見られるものだろうか。いや実際、ここにそのひとがいる。まさに「観音としての資質」としか形容がない。そしてそれは困難と試練と感情を、軽々と超越する。
  喜多見 龍一


 >  喜多見龍一の読むワークショップ ウェブ版