「神との対話」著者ニール・ドナルド・ウォルシュによるまえがき

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★「神との対話」著者ニール・ドナルド・ウォルシュによるまえがき

離婚なんてものは、この世にない。
世界中で使われている辞書に載っている「離婚」の定義、「夫婦が完全に離別すること、夫婦が別れること」にしたがえば、そんなものは存在しないことになる。
この世に別れはない。
ほとんどの人々にとって、それは良い知らせでもあり、悪い知らせでもあるだろう。良い知らせだと思う場合は、これなら人は決してひとりぼっちではなく、そもそも、ひとりぼっちはあり得ないことになるからだ。悪い知らせだと思う場合は、どんな相手であろうと、完全に追い払えないからである。その人から自分を引き離すことは決してできない。

もっと簡単に言おう。「男と女の関係を終わらせることは、不可能である」
可能なのは、関係を変えることだけだ。
これは付き合いを「はじめる」ときに、誰もが理解しておくべき重要事項である。どんな関係であろうと、絶対に終わりはない。これはふたりが深い関係かどうかの問題ではなく、どのような関係かのほうが重大だという意味である。
別れた相手との関係は、いつまでもつづく。二度と会わないとしても、関係はつづいているのである。そして、そのような関係の本性として、実に現実的なレベルで、日常生活やさまざまな場面に影を落とす。
われわれが「結婚」と呼ぶ男と女の関係ほど、あらゆる人間関係の中で重い意味を持つものはない。だからこそ、結婚の解消ほど、人に痛手を与えるものはないのである。しかし、嘆き悲しむべき結婚の解消も、実はわれわれの空想の産物でしかない。われわれは結婚を終わらせることができると思っているが、これは幻想である。それを理解すれば、すでに立ち直りへ向かう途上にある。
結婚は終わらせることができない。ただ、終わったという言葉を使うことができるだけだ。われわれはたがいに、結婚が終わったと語り合うことができる。役所に終わったという証明書を出してもらうこともできる。しかし、本当は終わらせることはできない。人はふたつの魂の結合を終了させることができない。すでにおわかりのとおり、神が関わったことは、誰にもバラバラに崩すことはできないのである。
どれほどがんばって分離させても、別れた片方は、離されたもう片方を部分的に含有している。

別の言いかたをしよう。
離れることは可能であるが、独立した単体となることは不可能なのである。
ふたつの卵を割って、ボウルの中で混ぜたとしよう。それを再び、はっきりと別々の二個の卵へと分けられるだろうか。
無理だ。 人間も、ボウルの中の卵のようなものである。
われわれはみんな、混ぜられてしまっている。
離婚が成立するまでのあいだは、人生がめちゃめちゃになったような気持ちになる。塀の上から落下したハンプティ・ダンプティのように、もう二度と、もとの平常な状態に戻れないような気さえする。けれども、それがまさにわれわれが殻から出て、ついに完結した円満な人格を得た瞬間なのである。
この本は、人生がめちゃめちゃになってしまったと思った、まさにそのとき、どうしたら円満な人格を得られるかについて書かれている。そういった経験(つまり、自分の人生がめちゃめちゃになるような経験)を経ても、この本によれば、初めて「ふたつ一緒のまま、なおかつ別々」になることが可能になるかもしれないのだ。それは終わりのない愛の光を目指して、ひとつの愛の終わりという闇を抜け出すまでの、驚異の旅である。終わりのない愛の光とは、すなわち、自己と人生に対する愛、いわば神の愛である。

この本は奇跡だ。盲目になって視界が狭まり、絶望に支配されがちなときに、鋭い洞察と希望とをもたらしてくれる。人は傷つくと、目が見えなくなり、歌うこともできなくなり、人生の喜びのダンスを踊ることもできなくなる。この本は人生における最大の傷、すなわち夢の終わりと、愛の喪失とを癒すためのものだ。これを読むと、愛とは決して失われるものではなく、夢に描く人生はいつか実現するものであることがわかる。ただ、目覚めさえすればいいだけなのだ。
デビー・フォードはわれわれにすばらしい贈り物を与えてくれた。そして、その贈り物によって、この奇跡を実現させた。彼女自身も離婚を経験している。彼女も苦痛に耐えた。しかも、彼女はその経験に深く入り込み、何十年分もの叡智とともに復活して、それを人生最大の教訓を得られる道具として利用したのである。
彼女は本書でその叡智を披露してくれている。おかげで、われわれ自身の叡智の探求は、本来よりも非常に短縮され、楽になり、伴う苦痛も軽減されることとなった。デビー・フォードの叡智はわれわれ自身のものではないが、夜の海を照らす灯台のように、自分が向かうべき場所へと導いてくれる。こうして導かれ、われわれも本当の自分自身へと戻っていくことができるのだ。
それがこの本のすばらしさである。この本は人を本来の自己へと戻してくれるのである。

言うまでもなく、われわれが離婚によって失ったと想像するのは、まさにその「自己」である。決して、結婚していた相手ではない。本当はそうではないのだ。離婚によって失うのは、まさに自分自身なのである。自分自身に関するあらゆる概念が、崩壊してしまうのである。たとえば、自分が愛情ある人間であり、愛されるに値する人間である、といった概念がそうだ。あるいは、一緒にいて楽しい人間であり、誰も避けようとは思わない人間だという思いもそうだ。また、最善の選択をする人間であり、人を見る目に長けている、といった考えもそうだ。自分の心は信頼できる、めいっぱい与えられた愛がつねに充実した日を約束してくれる、といったことなど、すべてが一気に崩れていく。
離婚によって失うのは、自分である。だからこそ、深く傷つくのである。

そこで登場したのが、この今という時代の観察者、すばらしい現代の師、デビー・フォードだ。失ったと想像する自分自身も、実は失っていない、そんなことは決してあり得ないと、彼女ははっきり示してくれる。そうすることによって、自分を取り戻させてくれるのである。それこそが「本当の自分とは何者か」を解き明かす、驚異の真実である。
自らの人生やさまざまな離婚のケースからのわかりやすい例を挙げながら、それぞれの具体的なステップを踏んでいくプロセスを注意深く説明し、デビーはひとりの教師がなし得る、もっともすばらしいことをやってのけている。複雑なことを、シンプルに変えてしまってたのだ。むずかしいことを、簡単にしてしまう。不可能なことも、可能にしてしまっている。
私自身が離婚を経験したとき、もう二度と幸福にはなれないだろうと思った。今や、私はかつてないほど幸福である。しかし、ここに至るまで、想像を絶する長い道のりが必要だった。私にもデビー・フォードの地図があったら良かったのにと、どれほど悔しく思ったことか。
しかし、あなたにはそれがある。
あなたはそれを持っているから、喪失を得に変えてしまう方法を知ることができる。また、どうして喪失があり得ないか、どうして夫婦に本当の終わりはないのか、それでも人は痛みを終わらせることができるのか、といったことも学ぶことができる。
それもまだ、小さな贈り物に過ぎない。私が個人的に彼女に感謝するのは、分けてもらった彼女の経験による叡智の宝物が、非常に深く、現実的だからである。彼女は本物の愛のメッセンジャーであり、もっともつらい思いをしている人に向けられる希望の光である。

あなたが離婚の苦悩のさなかにあろうと、離婚しようかと悩んでいようと、離婚後の余波のつらさの中にいようと、そういう人の相談を受けていようと、この本はあなたの今後の人生に、きっと役立つはずである。

デビー・フォード、あなたに神の祝福がありますように。

ニール・ドナルド・ウォルシュ

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