バシャールを最初に日本に紹介した ヴォイス創業者、喜多見龍一が振り返る!

「BASHARが、日本人のマインドセットを変えた(かも)。」

今でこそ、多くの書籍がならび、スピリチュアル好きの方なら殆どの方がご存じかもしれない、バシャール。

バシャールが初めて日本に紹介されたのは、いつ頃だったかご存じでしょうか?

実は、日本で「チャネリング」という言葉が知られるようになったのは、バシャールがきっかけなのです。

バシャールが初めて日本に紹介されたのは、1987年。

VOICE創業者の喜多見龍一が、一本のチャネリングビデオに受けた「ワクワク」からはじまりました。

当時は日本にはまだ「チャネリング」という言葉も概念も存在していませんでした。

バシャールの登場により、チャネリングという用語は「現代用語の基礎知識」にも掲載され、一大ブームを起こします。

33年前のバシャールとの出会い、日本にもたらされた新しい概念「チャネリング」「スピリチュアル」のブーム、バシャールとの出会いによって誕生したVOICEを、喜多見氏自身が振り返り、綴りました。

1987年〜の時代の空気と共に、当時の日本でバシャールがどのように拡がっていったか、多くの人々に衝撃を、「ワクワク」を与えてくれたか…。

数々のエピソードを是非お読み下さい。

目次

「1987年、日本はバブルのまっただ中だった。」

私はその当時、外資系広告代理店などでコピー(宣伝文)を書くライターとして、計10年働いた後フリーランスとなって仕事していた。

世の中はバブル真っ盛りで、私はといえば、しゃれた音楽をかけて車名しか言わない30秒コマーシャルで大枚を頂戴したり、個人タクシーの運転手さんは都心に豪邸を建ててしまうという、なんじゃそれ?な時代だった。

広告の世界は好きだったが都合15年もやっていたので、業界には失礼ながら私は少々飽きてもいた。

そんなとき、当時の日本にはそういう単語自体もなかったが、「チャネリング」のプロモーションビデオをセミナー仲間たちと観る機会があった。

しかしそのときは、後にそれがひとつの時代を作るとはまったく思っていなかった。

「日本で初めてチャネリング・ビデオを観たときの特異な体験。」

私は元来、人生のなかで特異な体験をありありとする、ということはなかった。

家で、後に「チャネリング」と日本でも呼ばれることになるオムニバスのプロモーションビデオを友人たちと観ていた。

しかし、なぜかそのときに限り、不思議な体験を二つした。

ひとつは、みんなが帰ってから2台あったビデオデッキ(VHSとベータ)とTVへの配線をダビングするために確かめてみたのだが、実は使っていた方のVHSビデオ配線がTVとはつながっていなかった…。

そして当時の私のパートナー(すいません…)が、スプリング状になった金属のブレスレット2本をそのビデオ観ながらいじっていたら、そのブレスレットが完全に鎖状につながってしまった。

マジシャンじゃないんだから、なにしてんのんと彼女に言った記憶がある。

しかしどうやっても二度とそのブレスレットは離れず、しばらく棚の上に置かれたままになった。

それは永遠マークの横八文字のシンボルでもあり、これから起こることへの「露骨な伏線」となった。

「ダントツの知性と哲学を感じたダリルのBASHAR。」

そのビデオには、数人のチャネラーのチャネリングの様子が映し出されていた。

なんだか変なおデブの白人男性がうにょうにょ言ってるやつとか、妙に身体が動くやつとか。

私の記憶では(確か1987年だったと思うので今を去ること33年前)ビデオのなかのダリルは、手に粘土を握りながらチャネリングしていて、その粘土がいろいろなカタチになるのを彼は感じながらチャネっていた。

これは、なんか、気持ちは分かるなあと思った。

つまり、非常にカタチのないものを言語化する作業なので、それは粘土で意味あるカタチを作るのに似ているから。

数人のチャネラーのなかでもダリルは突出して知的でエネルギッシュで、しゃべっている内容に「哲学」があり、他を圧倒していた。

ちなみに、後に初期のダリルバシャールを通訳してくださることになる関野直行さんもその場にいたので、彼が英語を訳してくれた。

当時まだ私の英語力は乏しく通訳が必要だった。

ダリルのバシャールは特にチャネ状態に入って最初の出だしの語気がめちゃ強く、爆発的なのだが、それはこのときからそうだった。

BASHARが語るのは、あまりに新しい概念だったので、その場ではなんだか意味はよくは分からなかったが、「なんだかすごいぞ、これ」という印象だけは強くあった。

それは、いわば「新しすぎた」。

「‘チャネリング’という言葉が現代用語辞典に載った。」

この時代には「チャネリング」という概念自体がなかった。

なので、当然言葉も存在していなかった。

私は言葉の仕事をしていたので「現代用語の基礎知識」という分厚い辞書を毎年買い換えていたが、BASHARイベントや本でそれが一大ブームとなると、その辞書に「チャネリング」の項目が追加された。

確か例としてBASHARの固有名詞も解説文に載った。

BASHARはエササニ星の宇宙人だが、私たち人間だって地球の宇宙人なので、別にそのことは気にならなかった。

それより彼がしゃべっている内容が、めちゃハイブロウで、私たちの既成概念をぶち壊していくことがショックでもあり、気持ちよくもあった。

ひとは、あまりに未知な考え方(哲学)を聞かされると、脳がその情報を処理できず、一瞬頭がボーッとしてしまう。

それがダリルを日本に招聘して、初めて赤坂見附1分の10坪のオフィスにセミナー好きの関係者が集まって、「日本初」のダリルBASHARのチャネリングセッションを聴いたときに、その場にいた皆に起こったことだ。

皆2時間の後、脱力し、なにがすごかったのかは言葉にはできないが、ただすごいことだけは分かった状態で、ポカーンとしてしまったのだ…。

「後から、その意味を落ち穂拾いすることになるBASHARコンテンツ。」

とにかく、BASHARの語っている哲学は、いまでこそスピ好き、人生哲学好きの間ではより広く知られるようになったが、87年当時(初来日は1987年の秋)、なにそれ???という感じで理解できなかった。

なので、日本の皆さんに初めてお披露目する前に、自分たちでコンテンツを確かめておこうというつもりで、その日本初開催の関係者向けチャネリンググループセッションは始まった。

後にバリバリの優秀なセミナー女性通訳になっていく皆さんや、講師になっていく皆さんもその場にいた。

私もセミナーフリークだったので、そこそこ、新しい考え方に馴染んでいたほうだが、聴いた瞬間にはその深い意味のひろがりや、ましてやその考えを自分の人生に応用するなんてところにはまったく行けず、聴いた数日後に、「あー、あの考えはもしかして」と理解の落ち穂拾いが後からやってくるような状態だった。

しかし、この後、日本で最初に来てくださった、敏感でトガった人たちにお披露目した衝撃は、怒濤のように日本中に拡がっていくことになる。

「ありとあらゆる日本のメディアが放送し、記事を書きまくった。」

その当時、お客様のリストなんてものは存在しなかったわけで、完全に口コミだけでセミナー好きな人々においでいただいた。

東京、田町の仏教伝導会館で開いた日本初チャネリンググループセッションには、確か1回で70名様ほどが参加された。

まあ、よくそんなわけのわからないものに参加してくださったなと感謝しかないが、私たち関係者が赤坂の10坪オフィスでの、興奮、マインドブロウイング、なんなんこれ?? ぶっとび、ポカーン、後でよく考えてみよう、な体験は、その後の一般の参加者にも伝染した。

3〜4回セッションをやったが、すべてめちゃくちゃすばらしかった。

その後毎年ダリルを定期的に招聘するようになって、各界で当時活躍していた主にクリエイティブ系の著名人も参加者のなかにお見かけするようになった。

ゲゲゲの鬼太郎の水木しげるさんはゲタを履いて和服でおみえになったし、飛ぶ鳥落とす勢いの作詞家であり、私が大ファンだった阿木燿子さんにもおいでいただいた。

その少し後には、東京の大やくざ組織大親分の若き二代目さんも奥様と赤ちゃんをお連れになってセミナーにいらっしゃった。

赤ちゃんがセミナー中に泣くとまずいと思った私は「わたし、赤ちゃんを会場の外であやしますよ」と申し上げたが断られた。

私はなるべく逆らわずに、即席子分になって、へい、と引き下がった。

口コミというのはすごいもので、あれよあれよという間に、日本中のあらゆるマスメディアにまでそれらは伝染。

NHKをはじめ、すべての民放テレビ局、あらゆる女性月刊誌、あらゆる週刊誌、朝日や日経はじめあらゆる新聞各社、そしてロサンゼルスタイムズまで、1面トップの、日本でいう3段抜きくらいの大きさの記事まで出してきた。

そのようにしてチャネリングの野火は日本を席巻していった。

「編集で自分の視力が0.2は下がったBASHAR初版本。」

初来日対面セッションのコンテンツはあまりにもすばらしかったのに、せいぜい計200人くらいしかこれを体験できなかったわけで、「じゃあ本にすれば、もっとたくさんの人に体験してもらえる」と思ったのも自然な流れだった。

元々私は広告制作の畑だったので、デザインや印刷、文章の編集はお手の物だった。

当時使っていた富士通のワープロは初代のバカでかいやつで、それでコピーを書いていたので、テープ起こししたものを、そのドットの粗いプリンタで出力し、コピー機で縮小かければ、なんとか印刷フォントっぽくなるじゃん、と原稿を印刷屋さんに渡して刷ってもらった。

表紙のイラストは、最初の紹介ビデオを一緒に観た精神科の看護師だったパートナーが、なぜかその頃からクレヨンでめっちゃっ宇宙っぽい絵を描くようになったので、それを表紙カバーとページの間にランダムにカラーではさむようにして、印刷代金なんて気にせずに作ったのが、初版単行本「BASHAR」だった。

装丁は芦澤さんという、以前一緒に広告の仕事をしていたAD(デザイナ)さんに依頼した。

装幀家になったばかりの彼はこの本で装丁の立派な賞をとった。

編集は大変だったが、BASHARが言っている意味を完全にまず私が理解しないと読者に伝わらないので、かなり時間をかけて直しまくった。

関野さんの通訳はピカイチだったが、いかんせん瞬間的に言語化しているので、後でよく考えると、あー、こういう意味かという発見もあり、全体を何度もさらったが、もう一度頭から見直すと、また、新たな発見と小さな間違いは見つかるのだった。

当時のブラウン管ディスプレイを見続けた私の視力はその度に低下した。

「メインメッセージ ‘ワクワクしたことをしようぜ’。」

BASHARのメッセージを3秒で説明しろ、と言われたら「ワクワクしたことをやろうぜ」ということになる。

ワクワクは英語で言うとexicitedであるが、それを関野氏が、瞬間芸としての通訳で「ワクワク」と訳した。

これは後になって名訳であると皆が思った。

このBASHARのexcitedは、後に「passion(情熱)」という言葉に置き換わることもあったが、基本は同じだ。

このコンセプトは、「ひとは自分がワクワクすることをしていると、自然に、自分がこの世にオギャーと生まれてきたレゾンドデートル(自身の生きる意味)に向かうレールに乗れるぜ」ということを表わしている。

これは「努力とは別の力学」を持っている。もっと強いし、楽ちんでもある。

でも、BASHARは初期には必ずそのあとに「with integrity」と続けた。

integrityは日本語にしにくい概念だが、意訳すると「優しさをもって」「品位をもって」ということになるだろう。

つまりこの部分は大切で、自分がワクワクすれば、まわりはどうでもいいんだ、ということになりやすい面を彼は事前に見抜いている。

なので、まわりとも調和しながらワクワクすることをやり抜こう、と。

参加者からのそれに対する一番多かった反応は、「そんなことをして、金稼げるのかい?」ということだった。

この考えにも、まあ一理はあるが、BASHARはどちらかというと頑固で、「君の言うことも分かるが…」というような反応はしない。

そこは、なんというか地球人のぐにゅぐにゅを知らないワクワク一徹おじさんなのだ。

私は後に「SOURCE」(ソース、源)というプログラムをアメリカで探してきて、その行間を埋めることにした。

これも本と具体的やり方集があるが、何十年のロングセラーで、皆さんのワクワク探しとワクワク育てに役立っている。

残念ながら著者、発案者はシアトルで白血病で亡くなられた。南無森羅万象。

「チャネリングは、誰でもしている。あなたも昨日した。」

ダリルの来日初期の頃に、クリエイティブ系の方に多くご参加いただいたのは、チャネリングの根本作用をよく表わしている。

絵描きさんが筆に色を乗せキャンパスにどう動かすのか、作家がどう物語を紡いでいくのか、ダンサーがどう身体を動かしていくのか、経営者がどう商品サービスを思いつくのか、発明家がどう新機軸の論理を発見するのか、料理家がどの素材とどの素材をどう組み合わせるのか、マーケッターが売れずに困っている商品の美点をどう見つけるのか、さびれていく村にしか実はないものを再生家がどう発見していくのか。

それらの果実はすべて、「上から降ってくる」わけであって、そこを極めて論理的に、極めて科学的に、誰もぐうの音も出ないように説明し解明することはできない。

なぜだか風呂に入っているとき、トイレにしゃがんでいるとき、電車の吊り革につかまっているとき、それはスルスルとあなたの頭のなかに突然しのびこんでくるのだ。

神の恩恵としか言い得ないなにものか。それがチャネリングである。

ここを探りこんでいくと、「世界の二重性」「多層性」に行き着く。

そうでないと、なにか理屈がつかない現象、それがチャネリングだ。

「BASHARとの出会いは、流れと運。」

私の前職から類推して、皆さんは、私が狙ってそれを発掘したように思われるかもしれないが、事実はそうではなく、単にそのときの流れと運気がそうであっただけだ。

そもそも、対面で合計200名くらいがセッションにおいでいただいたが、当時私のたったひとりのスタッフも食わせることができず、コピーライティングで稼いではそのお金をチャネやスピの活動につぎこんでいた。

しかし私の方に悲壮感はまるでなく、元来私は楽天家だったので「まあ、きっとどうにかなるさ」としか思っていなかった。

88年創業で90年にはバブルがはじけ、厳しい時代に入ったが、BASHARの本がシリーズ累計で200万部を超えるほど読まれたので、皆さんに救っていただいた。

当時私が読んでいた本で、経済界の著名なインタビューアがこう言っている。

「どんな(大企業の)創業者のところに行って、創業当時なんであの大ヒット商品、サービスに行き着いたんですか?と質問すると、一人の例外もなく、全員、いや"単に運が良かっただけですよ"と答える」と。

BASHARとの出会いもまったく同じで、単にそのときの流れがそうだったというだけだし、上の方から神様に「ほな、あんた、やんなはれ」と言われただけなのだろうと感じる。

ただ私の前職体験が、プレゼンテーションや本づくりには役立ったかもしれない。

「人生に無駄なことは、ひとつもない」は真実。

どんなに人生途中で大きくギアチェンジしても、必ず前と後は、どこかの部分でつながってまったく無駄がないので、皆さんそこは安心して新天地にチャレンジしてください。

「新宿紀伊国屋の売り場担当は、自分でスリップ書いてそこに置いといて、と言った。」

当時、出版業界がどういう構造でどう動いているのかまでは知らなかった。

しかし本は初版千部だけ刷って、もうここにある。

じゃあどうするか、厚手の紙のショッピングバッグには、うまく入れると10部入る。両手にすれば一回20部運べる。

本屋で一番有名なのはどこだ? 新宿の紀伊国屋さんだ。じゃ、電車乗って20部持って行ってみよう。

で、3階だったか、人文コーナーの売り場に行って店員さんに、「すいませーん、本作ったんですけど、置いていただけませんかあ?」と話しかける。

「宇宙人が哲学を語る本なんですー」

「あっ、そ。じゃ、無地のスリップ(本に差してある売上伝票)あるからそこに書名とか手書きして、ほら、ここにスペース作ってあげるから置いてきなよ」

と平台(表紙が見えるように水平に置く台。書店でもっともいいスペース)を提供してくれた(たぶん装丁が良かったからだと今は思う。内容なんてなんも分からないわけだから)。

なんていい人なんだろう!! 感動!! やっぱほんとの本好きが売り場担当にいるんだなあと感心して帰る。

そんなふうにして、単行本20冊はとっても重いんですけど、わりとすぐ売れてしまうので、何回も何回も新宿と赤坂を電車で往復しながらBASHARの本は売れていった。

取次と呼ばれるディストリビュータを使うようになったのはもっとずっと後だ。

そして気づくと、最初の千部は1カ月ですべてはけてしまった。

セミナーに来てくださった200名くらいの方には封書で案内を出したが、あとはなにもせず、Eメール配信やSNSなんてものは、windows95が1995年からだから、もっとずっと後であって、本を売るための努力はなにもしていない。すべて口コミのみ。

努力したとしたら、読者がBASHARなる宇宙人が世界をどうとらえているのか、できるだけ分かりやすく編集したことだけ。つまり本の内容だけはすばらしかった。

そしてこの本は、多くの日本の方の生き方に大きなインパクトを与えたかもしれない。

「BASHARの「人生に偶然はない」は、日常に使えるか?」

私は、有名無名、市井の数多くの方から、本やセミナーで本当に厳しい人生から無事復帰した、あるいは、さらに上の目標をめざして達成したという感謝の声を実にたくさんいただいた。

なかでもBASHARのコンテンツが人生の助けになったという感謝を、既に社会で活躍しているさまざまなジャンルの成功者からも多く聞いて驚いた。

古くからのセミナー好き、セラピー好きにはこのコンセプトは旧知のものかもしれない。

しかし、実際にこの考えを自分の人生に応用して厳しい状況から立ち直った、困難な目標をヒットしたというひとは、そんなに多くないかもしれない。

たとえば、あなたがある日突然、なにかの病気を宣告されたとする。

あるいは勤めていた会社が倒産した、解雇された。あるいは、かみさんが出ていった、でもなんでもいい。

そのときに、あなたは本当にこの哲学「人生に偶然はない」を信じきれるか。

もしこのテーゼが絶対であれば、「偶然はないのだから、なにか対応する"原因"はあるはずだ」という考えに至る。

その原因らしきものに行き当たれば、その固くなった結び目を解きほぐすことができるかもしれない。

そして実際には、その原因に意識が浸透するだけで、その困難から半分は抜け出したに等しいのだ。

「リアリティは、次々と分岐していく」

BASHARコンテンツには、前項のような人間生活の法則以外にも、世界の認識自体を揺らしてしまうものも含まれる。

宇宙人が豆を喰ってるとか、宇宙人がどうやってセックスするのかもいいが、世界の根本構造をとらえる目こそが面白い。

人間の行動が基本太古からなにも変わっていないので、ワクワクなど、BASHARも同じことを言いつづけている部分もあるが、時代が進み科学がいろいろなものを発見、進展していくのに応じて、開示できるBASHARコンテンツも増えていくようだ。

これから人類が発見していくことを前もって知らせちゃダメよ宇宙ルールというのが宇宙人側にあるらしく、聞いても教えてくれないこともあるのだ。

私が興味をもった最近のコンテンツは、「リアリティとはなにか」だ。

あなたが歩きだすとき、右足から出すか、左足から出すか、十字路を右に曲がるか、まっすぐ行くか、昼に牛丼を食べる現実とチャーハンを食べる現実。

パートナーと添い遂げる現実と別れてしまう現実。

私たちの人生は無数に「分岐」する。

トランプが2期目の大統領になる現実とバイデンが大統領になる現実。

激しく対立するふたつのグループは交わることなく、どちらかが次期大統領に完全に決まった後も、「それぞれるに閉じた別の世界を保ったまま、並行して両立していく」だろう。

同じことは世界のすべての現実で起こるし、ひとりの個人のなかでも、「右へ曲がった私」と「左へ曲がった私」の世界は分岐し併存していく。

無量大数ともいえる世界が毎旬生まれる世界観。

それは私たちに「現実とはなにか」を考えさせて深い。

この世界観は、最新の宇宙論や量子物理学の世界を彷彿とさせる。

無数の泡構造の世界を私たちに想起させ、出来のいいSF映画を観た後のような知的興奮を起こさせる。

「このリアリティって、ほんとなの? の根本的な疑問」

隣家に石の塀がある。そこを手の甲の中指でトントンと叩くと、あー、ここに硬い石の塀があるんだなと私は認識する。

しかし、その認識を分解していくと、視覚神経からの電機刺激が脳のある部位に伝わり、中指の触覚を伝える電気刺激がある脳の部位に伝わって、そう「解釈」しているにすぎない。

そもそも、本当に世界は見たままに存在するのか。

観察者がいなければ、世界は存在すらしないのではないか。

世界認識をするレシーバーとしての脳と、意識という無形世界に存在するもの。

怖がりの人間は、怖れる現実を深く信じることによって、それに対応する世界を逆に創出実現させる。

既にコンピュータは名人棋士を打ち負かすまでになったが、書籍「BASHAR2017」で私がBASHARに「コンピュータは意志をもつようになるんだろうか?」と聞いたら、「おまえはなぜ、意志を持てないと思ってるんだ?」(そんなわけないだろ)と逆に聞かれた。

いまという時代は、日々驚くような発見があり、次々と今までベールに包まれていた真実が明らかになっていく時代だ。

そしてそれは確実に「私たちのリアリティ」を銀河時代の驚くべき新真実へとバージョンアップさせていくだろう。

それこそがBASHARの言う真のワクワクなのではないだろうか。


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