【1998年11月号】精神と化学物質の渚の曖昧。物質としての脳は精神そのものか。


1998年 11月号

精神と化学物質の渚の曖昧。物質としての脳は精神そのものか。

神経科の先生にお話を伺い、実際に悩んでいる方からいくつかお便りも頂戴した。少し分かったことは、病気というほどではないが日常生活には支障があるという人が相当数存在すること。多動症、注意力障害や強迫性障害は、自閉症や鬱や感情障害などと複合しているケースが多いこと。また、リタリン等の薬でよくなるケースとならないケースが存在すること。

アメリカでは「リタリンを使わないでいかに多動性障害を治すか」という本も出ているくらいだ。強迫性障害の療法「行動療法」の中身は、まず第一に「私ではなく、OCDがこういう行動を起こさせるのだ」という認識、つまりNLPでいうところの「リフレーミング」(再定義)をすることによって、本人の心理的負担をまず軽くする。また例えば、吊り革が汚くて触れないという人がいれば、実際に医師やセラピストの補助の元、触ってみる。潔癖障害なら手を洗わないでも「なにも起こらない」ということを確認する。これは古典的なセラピーと同じで「一番怖れているものにみずから直面する」こと。しかしそれでも「魔法のようによく効く方法」はないようだ。米国ではOCDやADHD等の治療に使われるプロザックやリタリン(商品名)のセロトニン調節薬(FDA認可)の厚生省認可はまだ降りていない。しかし医師は実際のところ処方はするようだ。また個人輸入は一応、合法。行動療法は「九州大学医学部」。温かみのある 医師のサイトで翻訳論文も豊富な「じゃじゃ丸トンネル迷路」等が優れている。

脳内の化学物質の過不足というのが、シンプルな原因説だが、仮にそれが正しいとしても、そのまた原因はよく分からない。環境物質か食事や環境の変化か。精神と物質の相互往来はしかし、きっと確実に存在する。

  喜多見 龍一


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