【2000年11月号】矛盾するものが見えたとき、それは真実であり、力がある。


2000年 11月号

矛盾するものが見えたとき、それは真実であり、力がある。

ビッグバンのように、一なるものが、中国哲学の「太極」のように、ねじれて相似な陰陽を生む、というのが「創造」の根本プロセスである。「世界の創造」は数字いえば「3」(原初の意図1+陰陽2)だ。

橋梁構造のように三角形は力学的に強い。それはこの定理の映しとしてよく知られている。

世の中のすべては「矛盾」に満ちている。別に政治の世界だけではない。力強く生きつづけているものは、すべて矛盾を孕む。

世界になにかが生まれる。すると、その反対物もまた、続いて生まれる。その対立がダイナミックな「動き」を生み出していく。政治の世界などで、よく私たちは「ああ、理想の一政党があって、それがすべてをオーガナイズすれば、理想の社会がやってくる」というように考える。しかし、実際は、そうはならない。どんな理想的な政党が生まれようが、独裁というメカニズム自体が致命的な弱さをもっている。右左に関係なく必滅の定めをもつ。「矛盾こそが力」なのである。

なにかに行き詰まったとき、より安全に見える道と、より危険に見える道の、どちらに行くか。私は、老獪な権謀策術の世界を言っているのではなく、世界の法則を言っている。そこでは、矛盾が「力」をもち、世界に次なる、より高次な展開がもたらされる。矛盾の少ない親和的な行動規範から生み出される世界より、より高く、よりダイナミックに、より遠くへと至ることができる。

博打打ちが手にワンペアもないときに、チップを山のようにレイズしてコールする。これにはブラフィング(欺き)の力もあるが、本質的には擬似的に「矛盾」の場をそこに創り出し、場の力を一気に自分の方へ流れさせる働きを利用したものだ。

恋愛の力学の中にいるふたりの、一方が冷めたと感じるやいなや、もう一方は、未練の感情をともなわずその恋愛の場から去る。そうすると、そこに「矛盾の、力の場」が形成され、冷めていたはずの人間があろうことか、激しく狂おしい愛のモードに戻ってきたりする。

「反対の方向へ舵を切れ」。それが矛盾の力学である。より危険の方向へ、より安定化しない方向へ、より悪手へ、断定的な意図をもって。

矛盾のないものは、一見シンプルできれいで潔く見える。だかしかし、それは、決定的に「弱い」。なぜなら、それは世界の形に反するから。相反する対極へ、矛盾へと舵を切るとき、世界はより豊かに、力強く創造される。なぜなら、それが世界の創造原則であるからだ。
  喜多見 龍一


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