【2011年11月号】変化の時代に「心の平安」をもらたす百万光年先の宇宙人的「世界認知法」。

私たちの「心の平安」はさまざまなことで、きわめて簡単に妨げられる。私たちはその主な原因を「外の世界の変化」からくると認識している。激しく私たちを揺るがしたものは今年の春起こった。心の平安を保つ最低ラインのバーは、今日私たちに持っている、外の世界の生活の礎、たとえば家とか家族とか仕事とか一定の収入とか水とか食料とか、そうした根本的な生活の質を支えるものが明日もきっと同じくあるはず、と思うところから来ている。しかしながら東北で起きたように、そうした根本でさえ揺るがされる現実がある。この激しさには、「生き残って、今も命だけはある」というような根本的なところまで心のバーを下げないとセルフ・エスティーム(自分のことが好きな度合い、ほめてあげられる度合い)を保つことが難しくなる。

新しい世界観の構築にむけて胎動をつづける今という時代。私たちは日常生活でさまざまに心の平安を乱す要素にはこと欠かない。外の世界の「新しい時代への脱皮」は、さまざまな影響を通じて、「個人生活」にも影響を及ぼす。私たち自身も「新しい生活様式への脱皮」に、ある種強制的に誘われる。個人生活では、そのひとの弱いところ、意識の浸透していないところを選んで、わざわざ圧力がかかるようにも見える。それは、「あなたができたら、他のひともできる」からであって、ある意味、世界はあなたの肩にかかっている。あなたがその課題をクリアできたら、世界があなたに微笑みかけるだろう。地球が次の次元に脱皮しようとし、それが世界に波及し、そして他でもないあなたが、その新しい「変化を可能にさせる」。地球と人間のすごい仕組み。

私たちがリアリティ、「現実」と思っている「外の世界」。しかし、その外の現実は、皆がほとんど同意しているとはいえ、完全に一枚岩の現実ではない(観るひとによって違って見える)。なぜならば、外の"現実"は、あなたの頭のなかで起きているからだ。つまり外のリアリティも実は、私たちのさまざまな「感覚器官」がとらえた「現実のように見えるが、実は自分の頭のなかでしか起きていないリアリティ」なのだ。ということは、究極にはこの世界には、あなたの「頭の中のリアリティ」しか存在しない、ということになる。あなたの近くにある木のテーブルをこぶしでコンコンと叩くと、確かにそれは硬そうな音と手触りがあって、そこに硬い木のテーブルがあるように思われるが、それを認知しているのはあなたの頭でしかない。

本質的な問題は、そのあなたの頭のなかのリアリティには、必ず「バイアス」がかかっている、ということだ。なにによってバイアスがかかっているかというと、私たちの今までの「判断」によって。判断がニュートラルな現実を歪める。これはバシャールの「電車に乗り遅れる男の例」によく表現されている。電車はただ単にある方向に走っているだけであって、「乗り遅れた」は、自分の認知からくるバイアスそのものだ。

今号の表紙の、どこぞのおさる(たぶん)が言っているように、自分の頭のなかに「自分なりの人生の基準」を確立しているかどうかで、限りなく毎日が不安と焦燥の連続になるのか、外の世界の状況に関わらずインナー・ピース(心の平安)を保てるかが決まる。

あなたが持っている「世界の認知」、世界はこうなのだという認知は、全員必ずバイアスがかかっている。あなたの過去の「判断」によって。インドの偉い坊さんであろうと、生身のキリストであろうと、必ずバイアスで世界認知は歪んでいる。この3次元に存在する限りは。

そして世界認知にバイアスをかけるその「判断」は、私たちの「感情」からやってくる。快不快の感情が現実をユニークに判断し、その判断があなたの世界認知をユニークに歪めている。では、外の世界でなにが起ころうとも、インナーピースを保てるためのインナー・リアリティはいかなるものか。それはたぶん、「世界から"意味"をはぎとった後の、ニュートラルな世界認知」なのではないかと思われる。

世界から、私たちのジャッジメント、判断を取り去ると、世界はどう見えるか。それは「ただただ、ものごとが淡々と起きていく」ちょっとぶっ飛んだSF的世界観。この何百万光年先の惑星の見方のような世界認知は、私たち感情と判断に慣れた人間には馴染みにくいかもしれない。しかし、いったんそう観ることで、激しい動揺、不安、焦燥、嫉妬、後悔などから離れることができる。あなたのまわりの世界には意味がなく単に変化しているだけなので、あなたに影響を与える意味づけさえ持っていないから。

バシャールの電車の例でも言われているように、いったんこうした見方で自分の元の居場所に戻ることができれば、そこに「余裕」が生まれる。この余裕、別の視点、元のバイブレーションこそが大切で、そこから新しい可能性が生まれる(バシャールの箴言では、電車に乗り遅れたことですばらしい提案をもった友人と出会う)。

人生の「新しい可能性」を拓くときは、今まで無意識にやっていることに対してのアンチテーゼ(反対側の価値観)をやってみる。右に対して左、陽に対して陰を意識的に認知してやることが、世界と私たちを次のステージに運ぶのだと信じている。へんてこな宇宙人的世界認識でもなんでも、使えるんだったら使ってみたい。

喜多見 龍一


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