【Kan.】古来中国から伝わる一子相伝の秘宝

クンルンネイゴン

「まるで初めから決まっていたように、すべてが自然に起こりました」。普通の生活から、道教の伝統の継承者へ。驚くべきスピードで人生の変化を体験した二人の瞳には何が映っているのか、深くさぐってみました。

SJスタッフ
2004 年11月からの2年間は、マックス・クリスチャンセンさんがシンクロニシティジャパン(以下SJ)でクンルンネイゴンを教えていらっしゃいました。カリスマ的存在だったマックスさんが、世界で初めてクンルンを教える認定を与えたのが由紀さんとKan.さんだそうですね。2007年からは、いよいよお二人のクラスがスタートしました。お二人がクンルンに出会い、伝統を継承するに至ったいきさつを聞かせてください。
由紀
私はマックスさんが初めて来日する少し前に、SJに入社し、スタッフとして働いていました。だから出会いは言わば偶然ですね。SJに入る前から「本当の自分自身を知りたい」という気持ちは強く持っていました。でも何をどうすればいいのかわからなかったのです。マックスさんには初めて会ったときから「由紀はクンルンの伝統を継承していく人だ。僕にはそれがもうはっきり見えているよ」と言われ続けていました。そして私自身も、クンルンをやってみたらド真ん中にきた、という感覚がありましたね。将来クンルンの先生になると言われたことについては「ふうん」という程度に淡々と受け止めていましたが、マックスさんと接し続けているうちに彼の伝統に対する真摯な想いを強く感じ、その想いを受け継ぎたいと思うようになりました。マックスさんは今年から修行に入ってしまいましたが、去年まではマックスさんが修行に行くとわかってはいても、自分が前に出て教えようという気持ちには、なかなかならなかったのです。それが今年に入ってから、時がきたなとピンときた。だから教え始めることにしたのです。
Kan.
僕は最初はワークショップの受講生でした。受講のきっかけも何かに導かれるような不思議な感覚でしたが、はじめてクンルンのポーズを取った瞬間から強烈な体験をし、「出会うべきものに出会った」と強く感じましたね。その後は日を追うごとに自分が変わり、感覚が開き、いろんな能力が段違いについていきました。今もどんどんスピードアップしています。それは不思議ですが、当たり前のように起きた。いつ、どう決意したというのもなく自然にすべてを受け入れていきました。由紀さんと二人で教えるというのも相談とかはなく、あうんの呼吸で初めから決まっていたように自然でした。自分の意志と何ものかの意志が、完璧にひとつになってきたような感覚です。
SJスタッフ
クンルンネイゴンとはどういうものですか?
由紀
クンルンネイゴンは、道教に伝わる覚醒のための秘義、実践法のことです。「クンルン」は崑崙山脈のことで、中国とチベットの国境にあるこの山脈で、この実践法が伝えられました。また崑崙には「仙境」つまり神仙が棲む山という意味もあります。「ネイゴン」は漢字で内功と書きます。一般的に気功がエネルギーを取り込んで外に出す、というものだとすると内功、ネイゴンは自分の中で力を発するもの。クンルンを実践していくと自分の内側からパワーを発することができるようになり、それが拡大していくといわゆる悟りの状態に達します。道教では覚醒、悟りのことをタオに帰る、何もない状態になると言います。それをめざしていく実践法がクンルンネイゴンです。
SJスタッフ
Kan.さんは氣の世界で、相当な修行を積まれたと聞きました。クンルンネイゴンは気功の一種なのですか?
Kan.
いいえ、まったく別のものです。僕もやってみて初めてわかったことですが、簡単に言うと気功は大自然の氣を取り入れて自分の内面を自然と一体化させていくのに対し、ネイゴンは自分がすでに自然そのものであることがわかるという道です。それも知識ではなく実感で。それは道教の奥義であり、最も深遠な部分にあたります。クンルンネイゴンはすべての実践法のルーツであるといわれる所以です。また、たとえば気功だと、どんなに速くてもエネルギーが伝わるのに時間差があります。ネイゴンでは反応が同時に起こります。それが気功とネイゴンの違いです。ネイゴンには勝ち負けや対立がありません。道教も奥義が失われて形だけが伝わっているところがありますが、クンルンは神仙へ到る道として、まさに知る人ぞ知る方法です。これがこうして公開されたのは、本当にすごいことです。知識から道教に入る道もありますが、実践から入るほうがずっと速いです。勉強は必要ありません。
SJスタッフ
だからクンルンが本当のルーツ、宇宙のたったひとつの法則だと言われているんですね。クンルンを実践するとタオに帰る、とさっき伺いました。なぜそういう状態になれるのでしょう?
由紀
何にも影響されないタオ的な部分が、すべての人のなかに存在します。それが人の本質です。クンルンを実践すると、その部分とタオが同時に反応し、直結するのです。自分の中に葛藤があると人生で迷いが生じてきますが、クンルンはその対立構造をなくしていきます。クンルンのやり方は非常に簡単で、ただ特定のポーズを取るだけで自然にいろんなことが起こってきます。大事なのは、起こってくる現象に執着せず、いかに自然に身を委ねられるか。自分で「やる」のではありません。クンルンの側からあなたのほうにやってきます。あなたはただ身を委ねて、自分を明け渡せばいいのです。
Kan.
クンルンのエネルギーは、気功などで言われているエネルギーとはまったく違います。身体では感知できないほど微細な、それはマックスさんが言っているように「パワーレスパワー」、力のない力というものなんです。クンルンの実践中には、五感で感知していないそっちのエネルギーこそが作用しています。誰もがそのエネルギーを内包していますが、ほとんどの場合は完全に眠っています。クンルンのマスター達は、そのエネルギーを目覚めさせることができました。それこそが、僕たちが受け継いだクンルンの奥義であり、その目覚めのエネルギーを伝達するのが「トランスミッション」です。伝達を受けた後は自分で実践していきますが、そのときに必要な変化が自ずと起こってくるというわけです。
SJスタッフ
なるほど、現れる現象に執着しないことが大切なのですね。クンルンは強力な浄化だとも聞きました。至福感に満たされる、サイキック能力が開花するなどとも言われますが、どんな変化が起こりますか?
Kan.
まずは、シンプルに物事を受け入れられるようになります。たとえば、精神的な勉強をしている人などは、なるべくポジティブに物事を見ようとする傾向がありますが、実はそれは思い切りネガティブな自分を抱えていることの裏返しでもあります。それを見ないようにしているんです。でもクンルンをやると両極ではいられなくなります。自分と何々、という境目がなくなってしまう。すると自然と手放すべきものが浮上してきて、剥がれ落ちてくるんです。意図せずとも浄化が起こります。
由紀
でも、がんばって剥がそうとしたらきっとうまくいかないでしょう。蕾を無理やり開かせようとしても花は咲きませんよね。時期が来れば、自然に花は開きます。特別な能力なども、手を伸ばして求めるものではありません。それは、その人の中に花開くべき蕾を持っていれば必ず目覚めてくるもの。そこには疑う余地がありません。本当の自分の力が、自然と花開くのです。
SJスタッフ
聞けば聞くほど、本当に奥の深さを感じます。では、クンルン実践者の代表であるお二人自身についてはいかがですか?お互いからみたお二人はどんな人物なのか教えてください。
由紀
Kan.さんをひと言で表現するのはとても難しいですが、「こうでなければならない」というのがまったくない人ですね。もちろん、それは意志が弱いという意味ではありません。岩のように固い意志を持っていて、こうと決めたらやり抜く粘り強さや、方向を見定める的確な判断力も持ち合わせています。でも、最後の部分で天に委ねるべきものを知っている人なんです。そこの見極めは絶妙ですね。すごい力を持っていながら、こういう謙虚さを失わないでいる。なかなか出来ないことだと思います。
Kan.
由紀さんは、クンルンの「純粋培養」なんですよ。クンルンをやるためだけに生まれてきた人だなあ、と強く感じます。いい意味で、今までの経験がクンルンになんの影響も与えていない。どうやってこの年まで、そんな風に生きてきたんだろう(笑)。エネルギーという意味で、まっさらにクンルンをやる準備をしてきて、見事に条件がそろっています。だからシンプルに、まるごとクンルンを受け入れている。これは本当に貴重なことだと思います。彼女のクンルンを見ていると、すでに「手放す」のは通り過ぎて、本当の自分のパワーを「思い出している」感じがしますね。
SJスタッフ
お二人はそれぞれ違っていながら、ユニークにクンルンを体現しているというのがよく伝わりました。それでは最後に、今後のお二人の展望をお聞かせください。
Kan.
クンルンをやっていくことに関しては、これが天職だという自覚があります。完全に、大いなるものの意志のなかにいると感じているので、この流れに乗ってやっていくしかないですね(笑)。「弟子に準備ができたら先生がやってくる」という言葉があります。僕は世界を渡り歩きましたが、結局は師のほうから日本にやってきました。将来的には、受け継いだ道教の教えをこの日本で伝えていきたい。僕は日本人に生まれたことを嬉しく思っていますし、そのことは忘れないでしょう。
由紀
私も同感です。なぜ日本でこんなにクンルンが広がり、また日本人である私たちに、初めてクンルンを教える許可がおりたのかということには、深い意味があると思います。日本でクンルンを教えていくのは、本当に意義のある仕事ですね。でも、具体的にどうなりたいという形はありません。あえていうなら、自然体でありたい。周囲から求められる環境があって、私に教えられることがあり、そしてそれが適切だと感じる限りはいまのことを続けていこうと思っています。