再びブームの兆しを見せ始めているクンルンネイゴン。日本のみならず海外へも活動の幅を広げ始めた由紀さんと、クンルンマスターの称号を受け、正式にマックス・クリスチャンセンの後継者となったKan.さんに、SJスタッフがじっくりお話を伺いました。
国籍や宗教を超えたところにあるもの
- SJスタッフ
- お二人とも海外での活動が増えてますます活躍していらっしゃいますが、まずそれぞれの近況について教えてください。
- 由紀
- 私はシンガポールでクンルンのワークショップをやるようになりました。クンルンをやると、シンガポールの人はこれまでクンルンを見たことがないのに、日本や他の国の人と全く同じ反応があったりして、国籍などに関係なく人は同じだな、と思います。日本でもそうですが、やるたびに新鮮なものを感じます。ワークショップで教え始めて5〜6年たちますが、クンルンに対する新鮮さは薄れることなくここまで来たという感じです。今年は個人的にもブータンや韓国、シャスタなどたくさん海外に行きました。様ざまな事に立て続けに触れて、違う立ち位置からクンルンを見た結果、逆にそぎ落とされて“やっぱりクンルンだなぁ”という実感を深めている所です。
他のものに触れる事で付け足されるんじゃなくて、逆にそぎ落とされた感じがします。クンルンだけやってクンルンを分かるっていう時期もあるけれど、他の事に触れたことで更にクンルンの本質に触れたっていう感じですね。
クンルンに限らず、物事の本質の所と、あとから派生していった枝葉の所があるとしたら、どれが本質かというのが凄くよく分かるようになったと思います。何処へ行っても本質的なものは共通している感じがするし、色んなバリエーションの良さもよく分かりました。
- SJスタッフ
- その本質のコアの部分というのはやはりクンルンなんですか?
- 由紀
- 私にとってはそうです。私の視点で見てるからそういう事になるのかもしれませんが、私は完全に何の疑いもなくクンルンに帰結する。そこが凄く強まりました。全くぶれがなくそこに帰結するという感じです。
いまクンルンをやっている人で、それまでに他の実践法をやってきた人もいるだろうし、これから先も他のものに心を惹かれることはあると思います。受講生の方から、あれとこれと組合わせていいですか? みたいな事も結構聞かれるんですが、素直に心惹かれるものであれば全然ありだと思います。で、自分の中のこれ、っていうものにその人が帰結していけばそれでいいのであって。結局のところ、どの道を通ってもいいんです。どこを通っても、自分が行きつく所へ行けばいいってことですね。そのためにはこの道を行かなければならない、っていうのじゃなくて、どの道を通ったって大丈夫なんです。
- SJスタッフ
- Kan.さんは今回、正式にクンルンマスターの称号を受け継がれたそうですね。
- Kan.
- 2年ほど前にタオイストの究極の状態とも言われているゴールドドラゴンボディ(チベットの伝統ではレインボーボディ)の達成を、師マックス(マックス・クリスチャンセン)より告げられました。そして今回さらに、歴代のマスターの方々より正式にクンルンマスターの称号をいただきました。
私も本当に海外のいろいろな場所に行っています。先日はイスラエルでクンルンのワークショップをやってきましたが、非常に充実感を覚えました。イスラエルでは、スポンジに水がしみる様にクンルンが通じるんですね。クンルンは民族間の対立を超える事が出来るんです。クンルンは言語じゃないしイデオロギーでもない。そこには人間の持っているベーシックなものがある。そうすると、そこに頭の次元を超えて、対立を超えるものが生まれてくる。もともと3次元というのは対立で成り立っているような所がありますが、対立を対立のまま終わらせるのではなくて、融合に持っていける。そこに3次元の意味があるんです。イスラエルの人達っていうのは、そういったことを敏感に感じ取ってくれる。向こうの新聞記者がセミナーを受けて、この国に欠けているものを東洋からもたらしてくれた、と非常に感激していました。イスラエルという国は大変興味深いところです。調和するととても深遠なエネルギーになります。
- SJスタッフ
- 本当だったら戦争しているかもしれない文化や宗教の違う人達が、その場ではみんな一緒になって仲良くクンルンしていると。
- Kan.
- そこでみんな何かを分かち合っているんですよ。グループでやるとクンルンって分かち合うじゃないですか。分かち合う時間を持つと持たないとではぜんぜん違う。そこに本当に大事なものを感じます。
- 由紀
- 日本では感じにくいですよね。シンガポールでもインド系とか中国系とか人種が混じってて、仏教とかヒンドゥーとか、バックグランドが全然違って宗教感もかなり強く持ってる人達が、クンルンって何ですか?って、それを踏まえて質問してくる。そういうのは日本ではあまりないですね。
境界線を変えられれば悩みはひとりでに終わる
- SJスタッフ
- ずばりお聞きしますが、クンルンの良さとは一言で言うと何でしょうか? クンルンを始める前の自分と、今の自分とで何が変わったか、ということでもいいんですが。
- 由紀
- シンプルにクンルンはおもしろいですよね。以前はこうで、こういう風に変わりました、というのを分かり易く言うのは難しいし、いつも説明に困る所なんですが、自分では明らかに変わっています。でも結局のところは、もっとこういう事をしなければいけないんじゃないか、とか、足りないところが見えてくるとかじゃなくて、「これでいいんだ、このままでいいんだ」と思える所がいいんだと思います。
- Kan.
- やっぱり境界線が無くなる事でしょうね。生きていると、物心ついたら名前をもらったり、何々学校の何々とか、何々やってる何々とか、名刺のようなものが付きまとう。もちろんいい事でもあるんですが、それは境界線なんです。境界線があって、相手と自分との比較が出来るからゲームは楽しいわけです。でもそれは、あくまでもゲームをする為の境界線なんです。そのゲームの中に完全に入り込んでしまったら、どうやって勝とうか、とか、負けたら自殺しないといけない、みたいになってくる。そういう2次的、3次的な悩みは、境界線があるが故の悩みなわけです。あらゆる悩みは、その境界線を変えられれば、ひとりでに終わります。最終的には、境界線ってのは実はあるようでないわけです。いろんな事を設定するから境界線があるんです。でも、設定こそは遊びなわけですよ。
- SJスタッフ
- 例えば“大学卒と大学に行っていない人”みたいのはあくまでも設定だと。
- Kan.
- 身体自体も設定ですから。自分と相手をわかる為にボディという設定を作っているんです。でも実は入れ替わり立ち替わり、色々なものが絶えず交流しています。でもその設定をかたくなに守っていると、いつまでも自分の思い込んでる殻の中だけで生きていて、その分悩みも増える。本当は味わう為だけに境界線があるのに、苦しむ為の境界線になってしまうんです。クンルンをやっていると、この境界線が、自分の枠が、広がったり縮まったりする事にまず気が付くんです。それに気づくと、すごく生きやすいです。相手と自分がいる世界では、伝わるまでに時間があるでしょ?でも境界線が無いってことは、私とあなたは無い訳です。でも、ある中で生きてるわけでしょ?だから、その事も無いって言って無いで終わるんじゃ、生きてる意味が無い訳ですよ。あるってことを楽しむために、無いっていう事を知るという訳です。
クンルンの本質は潜象界にある
- SJスタッフ
- 以前Kan.さんが仰ったという「クンルンとはエネルギーをエネルギーたらしめている何か」という言葉がよくわからないんですが。
- Kan.
- そこが簡単に分かったら誤解なんです。これです、って指し示せるものじゃないということ。わざとそうしたんです。つまり、エネルギーではない、って言いたいんです。エネルギーですら原初ではなく、エネルギーを生む「何か」があるわけです。エネルギーになっちゃったら、それは既に終わっちゃってるんです。エネルギーになっちゃったら体感するから・・それは後なんですよ。過ぎ去った後なんです。
- 由紀
- ワークショップでは「クンルンとは、物事が形を取ろうとするときに働く何か」というふうに説明することもあります。同じことなんですけどね。
- Kan.
- エネルギーって全部、現象界なんです。クンルンの本質は潜象界の部分だから、こっちの世界ではまだエネルギーになっていないんです。日本人だと感覚的に分かると思うんですが、現象に対しての潜象なんですよね。それは森羅万象ありとあらゆる物にあるんです。ひとたび通じたらあらゆるものにあるんです。無いものは無いんですよ、それから全部物質界は成り立っているから。言葉であらわすのは難しいんですが、たぶん科学が進むとこうなります。身体も消えるんですよ。最後で潜象界に戻っちゃうんです。現象界が消えちゃう。でも、潜象界と現象界は繋がっているんです。本当はその際の所で生きれるというのが良い。
- 由紀
- クンルンはその懸け橋ですね。
- Kan.
- 最初は、相反するもの同士が、自分の中でハーモニーを起こした時にだけ生じる何か。だからそうじゃない時には見当たらないんです。だけど、最初は偶然でも何でもいいから錬金術(アルケミー)が起こって、パッと終わる、みたいなことが度々あって、そのうち段々とそれが当り前になって来るんです。その振動が眠っていたものを本当に引き起こしてスイッチが入って、やがてクンルンが始まって育っていく。そこは理屈じゃないです。3次元だけに生きようと思ったら、別にここと相反するものを調和させなくても生きれるんです。自分の信念で生きてもいいし、信念でなくてもいいし、とにかく社会のシステムだけで生きていこうと思えば生きれるんです。だけど、自分の中の地球生物的な部分と、霊性的な部分とが、二つが二つのまんまじゃなくて、混ざってアルケミーを起こしている所の際の部分、どっちでも無い状態になった部分に鍵があるんですよ。本当の可能性はそこにあるんです。
- SJスタッフ
- 進化とか成長っていうと、どうしても努力とか頑張るとかいうイメージがあるんですが。
- Kan.
- それは仕組みの世界の中で頑張らされてるだけなんですよ。仕組みの中の成果なんて言うのは、所詮誰かの意図なんです。誰かの意図の成果なんかは突破して、他人のことを思い煩うよりも、自分の中の相反するものを怖がらないで出会わせる。
自分の中に、メイド・イン・地球とそうでないものがあるんです。生きているというのは矛盾なんですよ。その矛盾をある人は解決しないで他人に転嫁して、ああしろこうしろなんて言うけど、それはその人のごまかしなんです。生きていると、矛盾とか葛藤とかそういうものが訪れる。だけどそれでも宇宙と一緒に生きていると、ちゃんとそれは合流します。そして、相反するものが融合した時には、とてつもない至福、とてつもない進化がそこには待っている。葛藤を超えていくんです。クンルンはそのためのプラクティスなんです。だから仮に今、頑張らされている状況にいたとしても、そんなのより自分が大きくなるから、笑っちゃうわけですよ。昨日まで笑えなかった現実が、今日は笑っちゃえる。「所詮そこで言ってるのね!」くらいに思える。誰一人として例外は無く、生命を持っているということはそういう存在であり、みんなそのプロセス中なんです。それはもうそれだけですごいことなんです。
- 由紀
- ドッキリに気がつくみたいな感じですかね。完全に勘違いしてたってことに気づく。壮大なドッキリだったって感じで(笑)。
- SJスタッフ
- それが覚醒っていう事なんでしょうか?その「ドッキリだったんだ!」っていう瞬間は急に訪れるものですか?
- Kan.
- そうですね。その瞬間は時間と空間を越えた感覚でやってきます。意識が拡大するんです。この3次元イリュージョンの中に囚われていた状態からサッと目覚めて、「な〜んだ」って言う感じ。そして「な〜んだ」って思ってどうでもいいよ、じゃなくて愛おしくなるんですよ。どうでもよくて離れちゃって、もしかしたらそのまま行っちゃうかもしれないですけど、でもやっぱりなんかしら、いじらしいんですよね。理屈なく微笑ましいじゃないですか(笑)
- 由紀
- 可愛らしい感じがする。凄く頑張っているから。
- Kan.
- クンルンは覚醒の為の技法といわれています。何よりもそのために伝わってきた方法です。だからスローガンを上げてみんなを束ねて、こうじゃなきゃいけない、っていう方に連れて行くっていうのは嘘っぱちなんですよ。そんなの、どうでもいいわけですよね。
- 由紀
- 今自分が眠ってたな、ってことに気づくみたいな感じかな。でも、だから日常の中でやった方が分かり易いんじゃなかと思います。自分がどれだけ囚われていたか、っていう事が分かりやすい。人によっては、山にこもってもいいと思うし、どっちでもいいと思います。
- Kan.
- そういうのに適した国に生まれて、それに適した環境だったら、山に籠ればいいし、こういうテクノロジーのある便利な国に生まれたら、それを享受しながらまずやっていくのが一番いいんじゃないでしょうか。そこもそれぞれ。何が良くて、何が悪いということではないと思います。
- SJスタッフ
- 昔マックス氏がよく「私は炭素ベースのDNAからケイ素ベースに変容した」と言っていましたね。
- Kan.
- アメリカの研究機関で調べたら、私もそうなっていましたから事実ですね。
- SJスタッフ
- これは、アセンションって言えばアセンションなのかな、と思います。次元上昇って要するに、周波数がひとつ上がるわけですよね。DNAがケイ素ベースになると光の量をより沢山取り込めるようになる・・・こう話すとクンルンの凄さが伝わってきますね。今日はいろいろと興味深いお話をありがとうございました。
伯井由紀(鳳崙)(右)
SJ のスタッフとして勤務中に、マックス・クリスチャンセン氏と出会い、ひとめ会った瞬間にクンルンの将来を担う人物として見出される。クンルンのワークショップや受講生との練習会を通じてクンルンティーチャーとしての経験を重ね、2006年5月、世界初のクンルンティーチャーとして公式に認定される。師より与えられた道教名は鳳崙(Phoenix of Kunlun)。
Kan.(天仙)(左)
幼少の頃より武術に親しむ。18年にわたり呼吸法の実践指導にあたる傍ら世界各地の覚者、神秘家、シャーマン、武術家らと親密に交流を重ねる。2005年あるシャーマンの予言どおりマックスクリスチャンセン氏と運命的な出会いを果たし、2006年5月、世界初のクンルンティーチャーとして公式に認定される。師より与えられた道教名は天仙(Heavenly Immortal)。 2010年、マックス・クリスチャンセンの正式な後継者としてクンルンマスターの称号を与えられ、世界各国でワークショップを開催している。