青葉航講師のソースの旅物語

青葉航講師のソースの旅物語

青葉航講師のソースの旅物語

私が「ソース」の本に出会ったのは28才で 本が発売された直後の2000年でした。それから ソースプログラムを活用し始めて、通算18年になります。

私にとって「ソースの旅」は、思い返せば社会人になる前の就職活動から始まっています。
そして、現在に至るまで、大きく4つほどのステージがあります。

  • ステージ1:社会人になる前、就職活動をする中での迷いと決断
  • ステージ2:会社勤めの20代→自営の30代へのシフト
  • ステージ3:ワクワクを全部やる!30代→40代
  • ステージ4:次世代に向けて意識し始める40代→50代

話したら何時間もかかりそうですので、以下に なるべくポイントを絞ってお伝えできればと思います。 ゆったりとした気分でお付き合いください。

■■ステージ1:就職活動をする中での迷いと決断

私にとって「ソースの旅」は、社会人になる前の就職活動から始まっています。
浪人して予備校に通って大学まで進み、とりあえず大学卒業は見えたものの、その先に何を一生の仕事として働いていきたいのか、まったく確信が持てませんでした。

父親は会社員でした。コンピューターのシステム開発をしていて朝早くに家を出て都心に通勤し、夜遅くに帰ってきます。
とても忙しそうな働きぶりを見ると、自分も「そうなりたい」とは思えませんでした。
とはいえ、とりたてて何か特技があるわけではなく、将来への「志」「夢」があるわけでもありません。これという決め手に欠け、迷いがありました。

とりあえず、中学生の頃から親の影響でPCには親しんでいたので大手銀行のシステム開発子会社から内定を頂きました。
ところが、ひょんなことから、 ベンチャー企業に株式投資をして資金の面で支援する投資会社に巡り合いました。

「将来伸びる製品・サービス・経営者を探し出し、成長支援をする」という仕事に、どこかワクワク感を感じたのです。
いろいろな中小企業を営業して巡ることで、世の中のことがもう少し分かるかもしれない、とも思いました。
そこで、迷いはありながらも、未知の世界へのわずかな好奇心をもとに、まったく想定外だった金融の分野に進むことにしました。

■■ステージ2:会社勤めの20代→自営の30代へ

青葉航講師のソースの旅物語

■2−1.投資会社に入社するも、金融が合わないと痛感

そうして投資会社に入り、関西の支店で4年間勤務しました。

800社ほどを飛び込み営業して歩き、うち4社に合計3億円以上の投資をしたのですが初めてふれた中小企業の経営者の世界には良い意味でカルチャーショックを受けました。

会社員の父に主婦の母という典型的なサラリーマン家庭で育った私にとって、「自営業の世界」は、それぞれの経営者が自分のルールで腕を頼りに生きていて、刺激的で魅力的に見えました。

また最初の2年間で「自分には金融業界は向いていない」 と感じました。

投資の利回りや数字に興奮する同僚に比べると私は、営業先の社長に信頼されて握手をしたり、感謝の言葉をもらう方が断然嬉しかったのです。
4年間の勤務の後半2年間は、業務をこなしながらもいつも次の働き方を考えていたように思います。

仕事のかたわら休日を利用して、 自分なりの勉強会プロジェクトを立ち上げたのもその頃です。

魅力的に働いている個人へのインタビューと座談会のような場で
最初の年は2回、翌年4回、翌々年は8回、というように倍々で
勉強会の主催を重ねていきました。

折しもその頃、ウインドウズPCが爆発的に伸びてインターネットIT革命が起き、ホームページを作れるだけで20代の若者がどんどん起業するブームが起きていました。

ところが、ブームの中心は東京の渋谷・六本木で、関西で働く私の周囲ではまったく実感がなく、「こうしてはいられない、東京に戻らなければ」と焦る気持ちが湧きました。

■2−2.「衣食住遊」を扱うベンチャー企業で経営を経験

そんな流れで、次に何をするかを明確に決めないままに投資会社を「エイヤっ」と辞めることにしたものの、 独立などは全く念頭に無く、まずは転職の形を選びました。

親しくなった社長の一人が、自分を評価してくれて 相性も良い気がしたので、東京での新規事業の立ち上げを担当させてもらうことになり、経営の現場を経験しました。

「ソース」の本が出たのは、私が4月に転職した年の年末で、出版された直後の年明けに読みました。

社会人になって4年で転職したことに何となく後ろめたい気持ちもあったので、当時ソースの本を読んで「この転職は間違っていなかった!」と後押しされた気分でした。
また転職先の業務が「衣・食・住・遊」というライフスタイル全般を豊かにする仕事だったので、金融に居た頃とは比べ物にならない くらい、のびのびと仕事をすることができました。

たとえば、金融の会社で勤務時間中に映画の雑誌を読んでいたら単なる「サボり」ですが、転職先の会社では「お前、勉強熱心だな」と言われるのです。(笑)

むしろ「有楽町の東宝に行って試写見てこい」という話になって「まさか仕事として映画が見れるなんて!」と感激したりしました。

そうしてしばらくは、経営企画室に所属しながら次々と新規事業に取り組んでいきました。

■2−3.パーソナルコーチングを学び、ソースと共通点を感じる

転職の2年後、29才の時に、会社本体の取締役になると同時に、赤字続きだったグループ小会社のコンサル業務の再建を任されたのですが、自身の経営経験が少ないことや、若手スタッフの育成に悩み、日本に入ってきたばかりのパーソナルコーチングを学んで コミュニケーション力をアップしようと考えました。

学んでみると、自分を社会や会社に合わせるのではなく、 個人を主体に考えるコーチングのスタンスに、ソースプログラムとの共通点を感じました。

また、自分が「話し下手」だと思い込んでいたのですが、 じっくりと聞いてもらえて、制約がなければ思ったよりもいろいろなことを話したがっている自分を発見し、人と対話することが楽しくなってきました。

■2−4.周囲の期待に応え続ける毎日に、心の声が叫び始める

そうして働き、学ぶ中で、少しずつですが「自分に100%合う会社は世の中に無い!」「いずれは自営で仕事をしていきたい!」という思いが強まっていきました。

けれども、当時のコンサル業務は非常に忙しく、睡眠時間を削って仕事をしていて、次第に視野が狭くなり、 行き詰まり感を感じるようになってきました。

また当時は、結婚して2年で息子が生まれ、新居も購入して、と、外から見れば順風満帆で恵まれているはずなのに、自分の心にはモヤがかかったような状態で 「本当に自分がやりたいことが、できていない。。」
というジレンマに陥っていました。

そんな葛藤が身体に出たのでしょう、夜になると原因不明の咳が止まらなかったり、身体のねじれ、歪みが出ていると整体の先生に言われたりして、自分の「心の声」に反して、周囲の期待に応え続ける毎日が ジワジワと苦痛になってきたのです。

■2−5.会社勤め生活9年間をやめて退社

仕事をしている意味がだんだん分からなくなり、朝起きて通勤して仕事場に出かけるのがしんどくなってきました。毎日の睡眠不足で頭もボンヤリしています。

2003年の夏、31才の時にソースプログラムの活用編2日間を受講し、その年の末に、コンサル会社の代表を退任する決意をして、翌2004年2月末に、9年間の会社勤め生活にピリオドを打ちました。

最初にソースの本を読んでから、4年ほどの時間が経っていました。
不思議に感じますが、熟した果実がポトリと自然に落果するように、最後は自分でも驚くほどスムーズに「会社勤め」という立場を 手放すことができました。

ソースのプログラムでは「決断をグズグズして良い」といっていますが 同時に「人事を尽くして天命を待つ」ともあります。

焦ることなく、やるべきことをやれば、誰もが次のステージに進みやすくなるのだと思います。

■■ステージ3:ワクワクを全部やる!30代→40代

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■3−1.リセットのためヨーロッパをバックパッカー旅行

ところが、せっかく組織を出てフリーになり、自由な時間があるはずなのに、まだ自分の心が定まらず、さまよっていたのです。
解放感はあっても、 次にどこを目指したらよいかの目標がなかったんですね。

仕事時代にお世話になった方に挨拶したり、 お誘いの席に呼ばれて会食したりしているうちに、 あっという間に1ヶ月が過ぎていきました。

「このままではダメだ」 「何か視点を変えてインパクトを与えないと」 と危機感を感じました。 そこで、思い切って海外に出て自分を見直し、 将来を考えようと思いました。

金曜に旅行会社のサイトを見て、土曜に飛行機のチケットを買い、 月曜にはヨーロッパに旅立ちました。2004年4月初頭でした。

しばらく旅に出ていなかったので、勘がすっかり鈍っていました。 仕事が忙しいのが当たり前になってしまって、 旅行を全然していなかったのです。

最初の目的地・イギリスの空港に着いて、やっと我に返った感覚です。あわててその晩のホテルを探して電話するような状態でした。
結局、英→仏→スイス→スペイン→独→オランダ→ベルギーと、鉄道パスを使って21日間で7ヶ国の首都を巡り、 自由に街と美術館を楽しみました。

友人たちに「ヨーロッパに行くから紹介をお願いします」と頼んだら、 各国に駐在している邦人25名分のリストが出来上がりました。 そのうち17名とは実際に現地でお会いして、 インタビューしたり、会食をともにしました。

■3−2.ヨーロッパ旅行で得られたのは、自分を深掘りする決意

学生時代にはアジア・インドを旅するバックパッカーでしたが社会人になってからの9年間は、新婚旅行でイタリアに行ったくらいでひたすら日本国内で仕事をしていました。
休みを取ろうという事すら考えず、ただもう働いてたんですね。
今思えば、マヒしていたのだと思います。
むかしから地図を見るのが大好きで、時刻表を頼りに鉄道で旅するのがワクワクでしたから。

結果的に、この旅は、その後の私の方向性に大きな影響を与えることになりました。

それは・・・自分の「在り方」についてです。
とくに途中で訪問したスイスと他の国を比較して、気付いたんです。

スイスで、自分のメンターともいうべき Mさん宅に泊めて頂いた時のこと。
小学2年生の息子さんが、国語の宿題をしていてビックリ仰天。
日本の中学3年の英語の教科書くらいの字の小ささでフランス語が印刷されていました。仏語の教科書。
フランス語だけでなく、必須科目として英語、ドイツ語も。 スイスは国境を仏・独と接していて、観光が最大の資源です。コミュニケーション能力を身に付けることは 当然のことなんですね。
で、国が小さくて鉱物資源なども少ないですから、

  • 永世中立国となる(軍隊はあっても、他国を侵さない)
  • 観光資源を活かす(魅力で人を呼びこむ)
  • 時計などの産業(自分の技術を磨く)
  • 金融業(信用を高め、お金を集める)

といった方針なワケです。

逆に、ヨーロッパ各国の首都を巡ると、どの国に行っても街で見かける店や企業がありました。
「マクドナルド」や「ナイキ」、「リーバイス」、人材派遣の「アデコ」など。
私は、当時、外資系企業で働くことを周囲から勧められていたんです。
キャリア的には、世界的な多国籍企業で グローバルスタンダードを体感しながら働くことが、役立ちそうに思いました。
でも、どうしてもピンと来ていなかったのです。すごく、迷っていました。

スイスに行き、他の各国の首都を訪れて考え、決意したこと。

それは・・・

  • すでにあるものに存在意義を見出す
  • 自分の持っているものに磨きをかける
  • 自分の足元を掘る生き方

ということでした。

スイスは、その国にしかない特性、強みを生かしていると思いました。
軍事に注力せず、観光や金融、時計などに力を入れる。
「世界に出て行く」というよりは、「自分のところに世界を引き寄せて」います。

多国籍な外資系企業が、世界中どこにおいても同じクオリティのサービスを提供することは、とても大事なことでしょう。
しかし、私には魅力に感じませんでした。

「世界中で、自分にしかないものは何だろう?」

それを問いかけ続けることをしていきたいと思いました。

本当は、誰一人として同じ人はいないのだから、誰もが世界に一つ、オンリーワンなんですよね。
でも、持って生まれたものを掘り出し、開発し、磨きをかけて周りが引き寄せられる、魅力を感じる価値にまで高めるのには、相当の時間がかかるでしょう。
なにしろ、

「これまでにないものになること」

がゴールですから。

自分が心からワクワクして、無理しないでもやれること。

使命感を最も感じること。

人から最も喜ばれる自分の資質。

今まで誰も通っていない道を選ぶ勇気。

それを追いかけることが、「ぼくらが旅に出る理由」なんではないかと。

■3−3.転職のための面接を無断キャンセルして観念する

結局、「3ヶ月間働かないで、ゼロからやりたいことを考える」ということを自分に課した結果、

最初の1ヶ月は、人付き合いで終わり、真ん中の1ヶ月は、ヨーロッパ7ヶ国巡りに費やし、最後の1ヶ月は、転職か起業かで迷いました。

ヨーロッパから帰って、「自分の足元を深掘りする」と決意したものの、実際に何をやったら分からないわけです。自信もない。
すぐに起業する勇気がなかったので周囲の勧めで転職エージェントに登録したりしてウダウダしていました。

そんなある日、自分でも衝撃的なコトがあったんです。 それは、転職のために紹介会社にセッティングしてもらった面接をあろうことか無断キャンセルしてしまったのです。

もう本当に「頭の指示では身体が動かない」ということを実感し、 「このままでは周囲に迷惑をかけてしまう」と観念したのです。

■3−4.独立自営になるための神風が吹いた!

逆に、自分にとって後押しになる、思いがけない出来事もありました。
それは、知人の結婚式への参列を兼ねてハワイを訪れた際に、以前のクライアントだった、飲食店を現地に出店された経営者ご夫婦と再会した時のこと。

彼らは、もともと東京で3店舗を経営していて、新規事業として ハワイで新店舗を立ち上げ中でした。

その分、これまでの東京の店が手薄になるので、 私に経営をみてもらえないか、という打診でした。
とても有り難いお話で、涙が出そうになるくらい嬉しかったです。

一方で、引き受けてしまうと、これまでと同じ「雇われ社長」のポジションに再び戻ってしまいます。

思わず、その場で 「会社内部に入らず、外部からのコンサル契約なら」と答えていました。
つまり、もう転職して安定した立場になるのをやめてフリーのコンサルタントとしてやっていく、ということです。
結局、それが自分の本心だったのです。

もう、人を頼らないで 自分で全責任を負って独立自営でやっていく、と。

決まったのは月10万円のコンサル契約でしたので、それだけでは 食べていけないワケですが、組織から離れた自分個人を見込んで、 依頼をしてくれたことが本当に嬉しく、 熱い思いに満たされたのを覚えています。

私にとっては「神風」が吹いたようなものです。
奇しくも、そのご依頼を頂いたのは、当初に決めた「働かない3ヶ月」の最後の最後、5月31日がちょうど終わりかける深夜のことだったのです。

■3−5.苦手に感じていたことが、実はワクワクだった事実!

そうして、2004年の6月1日から 独立自営でフリーランスの状態になりました。

時間の制約が外れると、以前であればすぐに形にならないこと、苦手に感じることを避けていたのがじっくりとマイペースで取り組みやすい状態になりました。

ソースプログラムやコーチング、セミナーなどを活用して 不要な自己イメージや思い込みを取り除き、自分がもともと持っている才能や強みを明確にしていきました。
と同時に、ワクワクする、やりたかったコトを どんどん行動していったのです。

すると、これまで自信を持てなかったことが 「やっぱり、できたんだ!」と確認できて、 行動すればするほど、不思議と 逆に行動するだけの勇気が湧いてきたんです。

その結果手にしたのは・・・、
想像をはるかに超えた・・・、

それまでの自分とは180度違った、驚くべき成果でした!

沢山あるのですが、 たとえば・・・

×以前:人前で話すのが苦手!
→現在:年間250日、人前で伝える仕事です。

×以前:身体がカタイ!
→現在:ヨガをしたり、社交ダンスを習得中。

×以前:海外に無縁!
→現在:仕事と旅行で20ヶ国につながりが!

×以前:フツーの会社勤め!
→現在:自由に、カフェや全国で仕事してます。

つまり、もともと得意だったことのみならず、苦手に感じていたことが、実はワクワクだった事実!に気づき、自分の世界、活動の幅がものすごく広がりました。

毎日毎日、好きな時に、好きな場所で、好きな人と仕事できています。

それはもう、朝から晩まで、楽しみな予定だけ。
会社勤め以上の収入も、15年間ずっと続いています。

だから、「ソース」の本やワークショップを薦めてくれた友人や、私のコンサル、コーチングを応援してくれた知人、出会った数々の講師や心の師匠の皆さんに、心から感謝しています。

■■ステージ4:次世代に向けて意識し始める40代→50代

青葉航講師のソースの旅物語

この10年間で、およそ1万9千人の人と、年間200日〜250日、毎日毎日、コツコツと個人セッションやワークショップでお会いしました。

その方の強みを一緒に探し、向いている仕事を考え、新しい事業を計画し、また新たな旅に出ていかれるのを 見送ってきました。

おかげさまで、最近は以前にお手伝いさせて頂いた方と 5年ぶり、8年ぶり、15年ぶりに再会することも増えています。

自分自身も、来年で47才になりますので、次の50代も視界に入ってきました。

ご相談にいらしてお会いする人たちも、平成生まれの世代から、還暦を迎えたシニアまで、インターネットのおかげで全国からお声がけくださって日々増えています。

もしあなたが「新たな旅」に出られる前に、迷われているときは、ぜひ連絡ください!
人生の旅のプランニングをお手伝いすることは、私の使命であり、楽しみ、喜びです♪
これから、また新たな旅に出られるあなたを心から応援しています。
少しでも、お役に立てれば本当に嬉しいです。

あなたは、今の仕事を、あと10年、続けますか・・・?

「好きなコトをして、満足な収入があって、 周囲も喜ぶ生き方」

・・・そろそろ、あなたも始めませんか?

そして明日も、ワクワクにあふれた素敵な一日を!