中村航 トレーナーとしてのメッセージ

苦手意識のあったこともワクワクと分かり、取り組んだら収入になり、気づいたら起業まで!

小学校に上がった低学年の頃、物心がついたあたりから、私は何をやらせても不器用で、人より遅く、イライラして劣等感を持っていたように思います。
細かい作業が苦手、算数が苦手、人前で何かを発表するときには緊張で頭は真っ白、恥ずかしがりで赤面症といった具合でした。

小学校からサッカー、高校からテニスを始めたのですが、ここという大事な場面に弱く「勝負に対する執着がない」とよく言われていました。
今から思えば、「何事もきちんとやりたい」という気持ちと、自分なりのこだわり、負けず嫌いで自意識が過剰なことが、すべて裏目に出ていたのだと思います。

ソースのプログラムに出会ったのは、社会人になって4年ほど、28才で最初の転職をした直後です。
大学を卒業して投資会社に入り、東京育ちながら慣れない関西で営業の仕事をしていましたが、金融もノルマのある営業の仕事も自分に合わないと感じて、方向性を変えた直後でした。

中村航トレーナーとしてのメッセージ

ちょうど当時、人の可能性を引き出すコーチングの手法にも惹かれていて、ソースの考え方はまさに目からウロコで、それまでの物の見方を大きく変えてくれました。
もっとも大きな変化は、自分が苦手だと思っていたことに実は憧れていて、ワクワクの要素があって、「食わず嫌い」だったと気づいたことです。

そして、皆がやっていることを「自分もきちんと出来ないといけない、遅れを取らないように」と思って苦しかったことから解放されて、もともと自分が興味があったり、好きなワクワクすることをマイペースに取り組めばいいのだ、と吹っ切れたのです。
これはもう、ものすごく、スッキリしましたね。

それから4年ほどは、それまでに手を出さなかったような「ワクワクすること」にいろいろチャレンジし始めて、少しずつ自信がついたり、新しい出会いに恵まれたりして、会社勤めを続けながら本当の意味での「土台」を築いていった時期だったと思います。
そうやって進んでいくうちに、だんだんと組織内で時間や場所の制約がある中で働くのではなく、自分のペースで、自由に、やりたいことに取り組める独立・起業に気持ちが傾いていきました。

最後は見切り発車的に、準備が十分とは言えない状態で、32才で起業コンサルタントとして開業したのですが、コーチングの波が訪れて、さらに「専門は起業支援」という組み合わせが珍しかったこともあり、「プロ起業コーチ」という肩書きで注目され、雑誌「アントレ」に紹介して頂いて、さらに記事の監修をしたり、リーダー養成のNPO法人で社会起業のサポーターをしたり、東京だけでなく、日本全国で仕事をさせて頂きました。

おかげさまで、ほとんど紹介だけでクライアントが絶えず訪れて、最初は苦手意識を持った状態から取り組んだことも、3年、5年と続けるうちに複数のことが収入にまで結びつき、サラリーマンの時よりも稼げる状態になりました。
それで、気づいたら15年も経っていた、という感じです。
それこそ昔の私が見たらびっくり仰天、「あり得ない!」と叫ぶでしょうね。

ソースのプログラムは、本を読んでワークショップを受講してから2年ほどは自身で取り組み、2002年からはトレーナーとしてお伝えする側になりました。 9割以上が口コミで広まって開催が続き、開始以来21年間で発見編297回、活用編200回を開催して、のべ1080名が受講されています。

これほどまでに「ワクワクすること」が人生に影響を与えるとは、2000年に本を読んだ時には思いもよらなかったことです。
このように私自身の体験から、まだソースの本を読んでいない人、ワークショップを受講されていない人には、「ワクワクのスイッチを入れること」を強くオススメしたいですね!

中村航トレーナーとしてのメッセージ

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